基本というものⅡ

この所寒暖の差が激しく、東京の桜はすでに見頃を終わってしまいましたが、散り行く桜もまた一興。地面や川面に落ちた花弁等とても風情がありますね。

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長瀞の桜 先週

こうして毎年梅や桜を追いかけて過ごせているという事は本当に幸せです。そして本居宣長ではないですが、やはり桜は日本人の感性の根幹にあり続けているのだな、と思えてなりません。

DSCF6243_1日野先生
そんな華やかな日々の一日、フラメンコの日野道生先生が毎月やっている小規模なパーティー(ペーニャといいます)に行ってきました。久しぶりに伝統的なフラメンコを目の前でたっぷりと聴くことが出来ました。日野先生のスペインでの武者修行の話や、色々なカンテ(歌)の話など、現地で勉強してきた人間でなければ解らない、実に興味深い話を聞けて楽しかったです。更にカンテの女性も来てくれて、素晴らしい歌も堪能。我が身にフラメンコが沁み渡りました。実は私は20代の中頃にちょっとだけですがフラメンコギターを日野先生に習っていた事があるのです。その時学んだことは、後の琵琶の演奏技術に大いに役に立ちました。フラメンコギターと薩摩琵琶には共通するものを多く感じます。

そしてつい先日、久しぶりに自分の原点を思い出させてくれる曲を思いがけず聴きました。いつも楽しみにしているFMの「現代の音楽」で、ピーエール・ブーレーズ作曲の「ル・マルトー・サン・メートル」がかかったのです。シェーンベルクやバルトークから続く現代音楽が、次の段階に進んだ第一期が1950年前後でしょうか。その50年代を代表する作品がこの曲なんです。それから更にまた発展して行くのですが、私が作曲の勉強を始めた頃、良く聴いていました。正直なんだかよく判らず、概念論や背景となる哲学ばかりあれこれ考えていたのを思い出しました。

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ジャズや現代音楽、フラメンコなどは、自分の中ではもはや大切な音楽体験となっていて、私にとっては音楽的な基礎と言えると思います。しかしこれらは大きな要素ではありますが、ここから音楽が出て来る訳ではないのです。あくまでそのもっと奥にある感性から音楽が湧き上がるのです。日本人として生きて来た私が、ものを観て感じるその感性が先ずあって、その上に様々な音楽体験があって、それらを通して初めて音楽が生まれてきます。
私は自分の芸術的感性の源を中世の精神文化に求めています。平安時代の余情の美から始まり、中世の「わび」から近世の「さび」へと続く精神文化の発展には日本の心の土台を大変感じます。色々な体験や知識なども大切ですが、先ずは何よりもこの土台こそが私の基本となるもの。ここばかりは何が来ようと揺るぎません。

11-9基本や基礎というとすぐに技術的な事ばかりに目が行ってしまいがちですが、その技術も感性の土台があってこそ出来上がったもの。感性が違えば、良い音という概念も全く変わってきます。だから技術よりもその根底にある感性に目を向けない限り、本当の意味での技術は得られません。良い音と感じるその感性を会得しない限りは、多少手が動いたところで、何時まで経ってもまともな音は出せないのです。古典に向かう時には特にこの辺が大切な要素だと感じています。

フラメンコはアンダルシアの民謡という事もあり、DSC09916ジプシー達に共通した感性の根本があるし、いまや唄にもギターにも技術的な基盤がしっかりと出来上がっています。薩摩琵琶はどうでしょうか?鹿児島に於いては薩摩ぶりという感性の土台が、かつてあった事と思いますが、それ以降の新しい薩摩琵琶は当時の最先端のセンスで作られたものであり、エンタテイメントとして人気を得てきたので、フラメンコのような民族に直結した感性とはまた違うと思います。ではどこに精神的な根本を求めるのか?。これはしっかり考えるべき課題だと思います。色々な意見があると思いますが、流派や学校で勉強した事だけが基本ではないと思います。そのもっともっと奥をぜひとも見つめて、自分の感性の源を求めて欲しい。それこそがあなたの基本となるものではないでしょうか。
一つ私が思っている事は、薩摩琵琶はまだまだ技術や楽曲に発展の余地があり、それ故にこれから歴史を作って行く音楽であると感じています。今はまだ、時間的な事も含めて古典という段階ではなく、これから日本音楽の古典となって行くものだと思います。そして私達はその歴史の最先端にいるのです。

パコデルシア 4
パコ・デ・ルシア

常に自分の基本となる所を見つめて行く事は、それに囚われるという事でなく、何に相対してもぶれない自分の核を持つという意味で大切な事だと思います。しなやかで
且つゆるぎないプレロマスな姿勢が無いと、結局は新たなものに挑戦しても相対することは出来ず、付和雷同で踊らされるだけで終わってしまいます。「自らを燈火とせよ」とお釈迦様も言っておられます。
それにしても若き日の出逢いは正に運命。こうした運命に導かれて、自分という個性が出来上がって行く事を想うと、どうしてもはからいの中に生きているんだなと思ってしまいますね。

皆さんの基本は何ですか?

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