先日の戯曲公演「良寛」の写真が送られてきました。
あらためて舞台を振り返ってみると、色々な想いが巡ってきます。あの舞台でしか感じることの出来ない異次元空間がありましたし、脚本の和久内先生はじめ、津村禮次郎、伊藤哲哉、木原丹、大浦典子という豪華メンバーでしか実現できないものが確かにありました。とにかく奇跡の瞬間がいくつも出て来たのです。勿論反省点も多々ありますが、少し落ちついて改めて回想してみるものも良いものですね。
ラストの津村先生の舞と私の樂琵琶独奏の場面はこんな感じでした。



どんな分野でも、予定調和な事しかやらず、型が決まった中で、お上手やお見事を目指すようになったら、聴衆は誰も魅力を感じないでしょう。次に何をやってくれるのか、いつもワクワクとして待つような気持ちを抱かせてこそ、舞台に足を運んでくれるのではないでしょうか。古典をやっても、新たな発見を感じさせてくれるような新鮮な視点、創造性が無ければ、お見事以上にはならない。いくら流派内で「先生」や「名取」であっても、新鮮味の無い舞台など聴衆にとっては、ただなぞっているだけのお稽古事に聞こえます。古典はなぞるものでなく、命あるものとして継承していってこその古典だとではないでしょうか。その為には常に現代という視点で古典を見つめ直し、古典の新たな魅力を引き出し現代の聴衆に聴かせ、魅せてこそ、古典は古典としてその存在を我々の前に表わし、深味を感じさせ、その世界を更に豊かにしてゆくのだと、私は思えてなりません。この部分こそが、お稽古事と芸術音楽の大きな意識の差だと思います。
この公演を通し、私は良寛という存在に強く興味を持ちました。良寛は道元禅師の「正法眼蔵」をかなり勉強したようですが、道元禅師とはまた違い、現実の生々しい生活の中で最期迄生き抜いたその姿には、大きな魅力を感じます。
死の間際に「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」と言い残したそうです。中々人生裏も表も曝け出して自由無碍に生き抜くのは難しい。人間何も格好つける必要などないのに、誰もが自らを飾り、衣を纏い「己」という虚像を、自分でも気づかない内に自ら作り上げている。
肩書きやら受賞歴をぶら下げているのは誰の為?他人に対して「私は凄い人なんです」と自慢したい気持ちも、俗世間に生きる一人として重々判りますが、そんな鎧のようなものを着こんで生きなければならない人生など、私はごめんです。常に自由に淡々とこの世を闊歩したいですね。

良寛の志が後の世代に受け継がれ、仏教という限定された枠ではなく、夏目漱石や鈴木文台、また長谷川泰、吉岡弥生、野口英世等、医療関係等にも繋がって行ったという事は当然であり、素晴らしい事だと思います。音楽もそうでありたいのです。小さな枠の中で受け継いだの何だのという事でなく、私自身が多くの音楽家から感じたように、どんなものであれ聴いてくれる人に伝わって行くような音楽でありたい。良寛の大きな志、そして視野には憧れ以上のものを感じますね。
私も志を持って音楽をやって行きたいものです。良寛は今後の私の指針となって行くと思います。良い経験をさせてもらいました。
