先日、新国立劇場にてアルバンベルク作曲のオペラ「ヴォツェック」を観てきました。

この所オペラはLive Viewingばかりだったので、久しぶりにフルオケと生の声を堪能して、気持ち良かったです。しかしアルバンベルクの作品ですから、一筋縄ではいきません。シェーンベルクの愛弟子にして、現代音楽をウェーベルンと共に牽引した人物ですから、この作品もほぼ無調で書かれています。一部には12音技法で書かれているところもあるようですが、作曲されたのがもう90年前だそうです。
ベルクの音楽は無調と言えども、どこか調性感が感じられ、いわゆる現代音楽のように刺激的な不協和音が続いたりはしないのです。同じシェーンべルク門下のウェーベルンの作品がかなり前衛チックに聞こえるのに対し、ベルクの音楽はどこかに抒情があり、聴きやすい。解り易い無調と言ったらおかしいですが、今回も違和感なく入ってきました。
このオペラは何時もMetで観ているようなエンタテイメント満載のものとは随分違います。何しろキャッチーなメロディーが出て来る訳でなし、豪華な衣装で目を楽しませてくれる訳でもありません。衣装は皆簡素で、舞台も暗く陰鬱、アンダーグランドな感じすらあります。またヴェルディのような愛憎極まったドラマというものとも違う。アリアをたっぷり聞かせるような所も少ない。出演者は社会の下層の人達であり、主人公以外はゾンビのような恰好をして出て来ます。最後は主役の二人とも死んでしまい、何処にも救いや解決というものが無い。舞台の解説にも「社会に蔓延する貧しさと暴力が、世代から世代へと連鎖する様を鋭く描き出す」「破滅へと突き進むヴォツェックの狂気」という具合ですから、グランドオペラみたいな豪華なものが好きなオペラファンには、全くつまらない作品かも知れません。
主役のヴォツェックにゲオルク・ニグル 妻マリーにエレナ・ツィトコーワ。二人ともかなりの実力派です。他、日本の方も出ていましたが、歌手というよりは皆が役者という感じで演出されていて、シュプレヒゲザングと呼ばれる語りのような部分も多いので、オペラというよりは現代演劇を見ているような感じがしました。
私は細部に渡って理解が出来た訳ではないし、後からやっと意味が判ったような所も多かったです。したがって作品に対する感想はとても書けませんので、この作品に接してみて湧き上がった想いを書いてみたいと思います。

新しいものを作り、最先端を突き進むのは人間の運命です。芸術でも経済でも、世界の動きが現状維持で止まる事はありえない。人間は常に何かを求める宿命を負っている存在です。それゆえに芸術を創造し、文化・文明を作り上げ、社会を構築してきたのです。ですから発展しないという事は、現状維持ではなく、衰退して行く事を意味します。残念ながら、のんびりと休んでいる事は人間には出来ないようですね。少なくとも芸術は社会の中に有って初めて生まれ出るものですので、常に「生み出す」ことが宿命でしょう。だからこの間観たラファエル前派のような若者達がいつの時代にも出て来るのです。
大体、古典作品というものは現代作品があってこそ古典となりえるし、文化となって行くものです。新しいものが出て来てこそ、過去の遺産への認識も深まり、研究も進み、そこにまた新たな創造性が向けられ、更なる魅力が輝きだすのです。
観る方もやる方も、さして考えることも必要とせず、目の前の楽しさが優先するエンタテイメントというものに溺れたら、新しい概念や哲学を生み出すことが出来ない。新しいものを生み出せない社会は、見事なまでに滅んで行きます。それは歴史を観れば明らかでしょう。エンタテイメントは人間にとって重要な要素ではありますが、楽しいだけでは芸術や音楽に命は宿らない。ヴェルディやプッチーニも勿論素晴らしく芸術的であるけれど、楽しさが優先して、新たなものを生み出さなくなったら、どれだけ素晴らしい作品も瞬く間に淀み、腐って行ってしまいます。
社会や生活はどんどんと変化し、個人もどんどんと年を取って、時代の感性も恐ろしい速さで変わって行くのに、芸術・音楽だけが変わらない訳にはいかないのです。確かに最先端の芸術に人々はついて行けないけれども、そんな最先端が時代を導いて、どんな時代にも、どうしても、新しい芸術・音楽を人は求めるのです。

個人の枠内だったら、眼の前の充実感だけを求めて、のんびり楽しく生きていても何ら支障はないでしょう。しかし社会がそういう状態にあったら、残念ながら明日は無いのです。芸術でも社会でも生活でも、溢れんばかりの創造が無くては人間は生きては行けない。だから各国、どの時代にも新しい哲学を持って、新しい形を創る人が次々に現れます。日本では世阿弥、利休、八橋検校、宮城道雄、永田錦心・・。そういう人達は世の中から天才と呼ばれます。私達はその天才が創り出した道を更に先へと進めて行けるか?ただ乗せられて終点にも辿りつけず、うろうろするだけか?!

この所、春の逍遥よろしく、楽しくて豪華で夢のような世界に遊んでばかり居た私に、このヴォツェックはかなり強い刺激を与えてくれました。作曲されてから90年という時間が経っても、私のような凡人の頭ではまだよくその魅力は判らないですが、次の世代にはきっとヴェルディやプッチーニのような古典となって行くでしょう。実際シェーンベルクやバルトークが「現代音楽の古典」という言われ方もそろそろされているのですから・・。
あらためて芸術の在り方に想いを馳せた舞台でした。