花の行方

都内はもう桜が八分咲きになりましたね。所によっては既に満開という所も出て来ました。我が家の近く、善福寺緑地には桜・桃・モクレン・ハナカイドウ・ハナズオウ・ユキヤナギetc.正に春の息吹が溢れかえり、花の饗宴状態です。春は就職や進学で人生が展開して行く人も多いせいか、世の中にエネルギーというものが満ちてくるような気がします。人の顔も華やいでいるように見えますね。

              善福寺2014-14善福寺緑地

140331_123432吉野梅郷
今年も吉野梅郷に行ってきました。毎年のように行くのですが、あの景観はいつ行っても素晴らしいです。吉野梅郷周辺は大変穏やかで品性の良い落ち着きのある所で、街全体に風情を感じます。こういう所はぜひとも大事にしたいですね。しかし残念ながら、吉野梅郷の梅はここ数年ウイルスに蝕まれてしまって、4月からすべての木が伐採されてしまうのです。つまり今年が見納め。3年後をめどに再生を図るそうですが、あれだけの景観はそう簡単には蘇らないでしょう。大変だと思いますが、また新しい時代が来ることを期待しています。

自然に溢れ、四季の花々に囲まれている日本の魅力はどんどんなくなって来ていると、毎年実感します。更に桜の花に想いを馳せ、歌にその美と儚さを詠い、詩に表わしてきた、誇るべき日本の感性というものも最近あまり感じませんね。日本の文化も音楽も、その豊かな自然からの授かりものだという事を、今の日本人は忘れているかのようです。梅や桜があったからこそ、日本独特の詩情というものが生まれ、感性が育まれ、それが深化して、わび・さびにも繋がり、他にはどこにも無い類まれなる文化が生まれたことは、まともな日本人なら誰もが判る事だと思うのですが・・・。

yoshino-ume4吉野梅郷

昨今の世の有様を見ていると、この現代日本が、花を愛でて、歌を詠み、詩を吟じ、音楽を奏でるような環境にあるとはとても思えません。邦楽が、今を生きる日本人になかなか受け入れられないのも判りますね。演じ手も売れる事ばかりを考え、見た目の派手さや目先の話題性に走り、梅や桜を見ても歌の一つも詠めないようになってしまった。残念です。これからの日本人に、この豊饒な自然と文化を再認識させることは出来ないのでしょうか。繊細な感性に裏打ちされた、この奥深い日本の感性はもう過去のものになってしまったのでしょうか・・・。

kotonoha-1世の中の動きに合わない人間は淘汰されてゆくのが運命なのでしょう。私のように山の中でゆっり暮らしたい、などという人間はおよそ現代社会=都会には向かないのかもしれません。都会は確かに色々な出会いもあるし、旺盛な芸術家の活気に満ちた仕事に触れることも出来るし、音楽家としてのレベルも確かに上がりますが、刺激的ではあるものの、日常を流されるように生きていると思う事もしばしば。そこには自然の息吹というものが無く、詩情を育む場所もない。

そして皆が一方向に走って行く姿はやはりまともではないです。色々な考え方、様々な生き方、感じ方が共存し得ない社会はやはりどこかおかしい。

タレントやTV番組の事など知らなくても良いのです。スマホから目を離さず四六時中投稿している人が、どうして野に咲く花の美しさに目を向けることが出来るのでしょう?。それが普通で、今の当たり前ですか?そ
れで本当に良いのですか?。私は電車の中でも、食事をしていても、スマホやタブレットPCが気になってしょうがない人を見ると、精神的に異常な状態にあるとしか思えてなりません。
マスコミがちゃんと報道しないと言いながら、また他の情報をネットで探し、どんどん情報の罠にはまり、振り回されて行く様子は変だと思いませんか?。自分には知らないことが沢山ある、という事を自覚する事の方がまとものように思いますが、如何でしょう?。

                        yoshino-ume5yoshino-ume3吉野梅郷

梅や桜のように物言わずとも、自らに与えられた運命を真摯に、そして旺盛に生きているような現代人はどれだけいるのでしょう。
いつの世も有象無象渦巻くものですが、詩情に溢れ、美を語り、芸術に身を挺する人がもっといて欲しいですね。文化そして国家が衰退して行くとはこういう事なのでしょうか・・・。

野に咲く花に日本の姿を感じました。

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