変わり行く時代(とき)Ⅱ

 先月フラメンコギターのパコ・デ・ルシア氏が亡くなった事は大きな衝撃でした。少し自分の中で色々想い出したり、整理してからブログに書こうと思って、今になってしまいました。
パコ・デ・ルシアには「偉大」という言葉すら物足りない、正に不世出のギタリストでした。66歳ではあまりにも早過ぎると思ったのは私だけではないと思います。思えば高校生の頃、「Mediterranean sun Dance~地中海の舞踏」という曲を聴いた事は、確実に私の中の何かを変えました。私にとっての一大事件でした。今はただただ同じ時代を生きることが出来たことに心から感謝するのみです。

パコデルシア 4

フラメンコという音楽を世界に紹介し、アンダルシアの民俗音楽を世界に向けた芸術音楽にまで持って行った彼の活動は、単にフラメンコの世界という事でなく、音楽界全てにおいてあまりにも大きな仕事だったと思います。またアコースティックによる演奏の素晴らしさを、世界中のギタリストに再認識させてくれたのも彼の大きな大きな功績でしょう。彼に触発されて、アル・ディメオラやジョン・マクラフリン、ラリーコリエルその他多くのギターレジェンド達がこぞってアコースティックギターに開眼し、その演奏が世界中に瞬く間に広がって、ギターの世界を大きく塗り替えたことは、ギターファンには一大革命として永遠に記憶されたことでしょう。パコの世界デビュー自体が、音楽業界だけでなく楽器業界をも巻き込んだ衝撃的な事件でした。

       

私は若かりし頃ジャズをやりながら、何か物足りないものを感じていました。パターンをなぞり、その中に埋没する形骸化したジャズではなく、もっと自分の中から湧き上がる音楽をやりたいという想いが募り、自分のやるべき音楽の姿を求めて日々右往左往していたのです。その時に高校生の頃聞いたあのパコ・デ・ルシアの演奏がまた蘇り、フラメンコの師に出逢い自分で演奏してみて、ギターの原点に立ち返った想いがしました。そして大好きなフラメンコギターがいかに自分には合わないか、自分がやるべきものでないかもよく判りました。つまり自分と真逆の性質を持ったフラメンコを通して自分の姿が見えてきたのです。憧れだけで追いかけていても何も成就しない。本当に自分自身になりきって自分がやるべき道を歩まねば、何時まで経っても低レベルの物まねでしかないという事がよく判ったのです。その認識から私は本格的な作曲を始め、琵琶へと独自の道を歩み始めました。あの頃パコ・デ・ルシアに出逢わなかったら、今琵琶も弾いていなかったでしょう。きっと私のような人が世界中にいっぱい居たのではないでしょうか。

パコ・デ・ルシアの存在は、私に色々な事を考えさせてくれました。どんな分野に於いても同じだと思いますが、新たな地平を目指すには、自分を乗り越え、あらゆる枠組みから脱し、miyagi異文化へ飛び込んで行く勇気と技量と知識と感性が必要なのです。ハートやソウルだけでは届かない。凡人は自分が築いた小さな城を守ろうとし、自分の得た少しばかりの知識と経験を土台にして、自分の小さな小さな器と感性で、全ての物事を図ろうとしてしま
う。そんな自分の小ささも、彼の音楽から学ばされました。

ピアソラ宮城道雄、アストル・ピアソラ、そしてパコ・デ・ルシア、こういう天才達が次の時代をみせてくれたからこそ現代があるのです。それまでの慣習・因習を超えて、新たなものを作り出す天才たちは皆、ずば抜けた技術を持っていますが、技術だけでは、新たな世界は切り開けない、感性だけでも具体化することは出来ない。両方共に持ち合
わせている事が天才の絶対条件です。
新たな地平を目指すのは芸術家の宿命。自分と違うものと手を取り合い、貧欲なまでに物事を追い求め、その領域に自らの手と足で入って行かなければ、新たな世界は現れません。それが実現できるのが天才です。天才はいつの時代も必ず越境して行く存在なのです。新たな世界を世に現すのは、選ばれし者だけに与えられた仕事です。

パコデルシア2

パコ・デ・ルシアは垣根も時代も乗り越えた。そして全世界の人に向けて、その音楽を知らしめた。後に残された我々は彼の残した何を受け継ぐべきなのか・・・・?。
けっして上手云々という事ではないと思います。技術レベルは新しい世代がどんどん乗り越えて行くでしょう。感性は時代と共に刻一刻と変わって行きます。じゃあ何を受け継ぐのか。やはり志ではないでしょうか。私はそう思っています。それは宮城道雄、永田錦心の後に続く邦楽人も同じ事。新時代を切り開き、新たな世界を見せてくれた先人の後をなぞり、憧れ寄りかかっているだけでは、残された者としてあまりに申し訳ない、情けない!。天才のように大きな事は出来なくとも、その志を受け取り、音楽に取り組んで行くことは出来るはず。そう思って精進したいですね。

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昨年末ジム・ホール氏が亡くなり、邦楽の世界でも最近、山本邦山さん、村岡実さんなど越境を実現した先輩達が次々に亡くなっています。世の中は止まることが無い、正にパンタレイなのです。この変わり行く今、我々はどんなヴィジョンを持って生きて行くべきなのか?それぞれの器を問われているのだと感じてならないのです。

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