すこしづつ春の陽を感じる時が増えて、気分もちょっと上向いて気持ちが良いですね。背筋もしゃんと伸びます。先日は私が主催しております邦楽アンサンブル「まろばし」の公演が無事に終わりました。沢山の方に御来場いただき、感謝に堪えません。ありがとうございました。


これからはしばらく創作の時期となります。今年は樂琵琶のCDをぜひ作りたいと思いますので、この時期にどれだけ良い曲が作れるか、それにかかってます。小さな独奏曲を今年に入って作りましたが、この春にはデュオの作品をいくつか作りたいと思っております。とにかく作品を作り続けて行くことが私の音楽活動。曲の構想が頭から離れてなくなるという事はないですね。常に頭の中に鳴っています。
私はいわゆる演奏家という質の音楽家ではないのでしょう。音楽に対する姿勢や考え方も毎年新たになって行くにつれて、以前やった曲にも少しづつアレンジを加えていますし、毎年新曲をレパートリーに入れて行かないと、どうも気が済まないんです。尺八(能管)と琵琶による「まろばし」などはやる度に違う感じになるので常に新鮮な気持ちでいられるのですが、同じ曲をずっと同じようにやるのは私には無理ですね。それは私の考えている音楽ではないのです。
作曲作品が出来上がった時はとにかく嬉しいです。それを舞台で演奏するのも勿論嬉しいのですが、尺八二重奏の曲なども自分が演奏しなくても、作曲し、リハーサルで練り上げながら指導して、舞台にかけて、客席から聴いているのもなかなかいい気分なのです。
そして何かものを創り出す時には、どうしても深い思考が必要だと、年を追うごとに思います。手慣れたものを安易に、得意になってやるようでは、やっぱり質の高いものは出来ません。「仏陀に帰依する画家」として知られる斉藤真成さんは「歳を重ねるにつれて、人は己が今まで経験した手慣れた手段にしがみつきたくなるもの。私は自縄自縛を解きほどいて、常に自由な魂でいたい」と言っていますが、自分はもとより、邦楽人・琵琶人に斉藤さんの言葉を送りたいですね。

私は自分の楽しみでもあるのですが、視野や感性を広げるために、暇さえあれば色々な舞台を観て、本を読み、芸術作品などに触れるようにしています。そして優れたものに出逢う度に、その深い想い、思考等々多くのものを感じます。
日本人はともすると己の世界に閉じこもり、情感に振り回されて、技術も思考もすっ飛ばしてしまう傾向が強いと思っています。「良いものは良いんだ」等と言って頷き合って、判り合えたつもりになっているのは小さな村社会の住人だけです。世界は勿論の事、日本国内でも既に通用しない。音楽として、作品としての洗練がなければ!。世界中のすぐれた芸術に触れる度に、我が身は勿論の事、思う所が多々あるのです。

次の春を迎えるためには、我々の眼を先ずは開かねばなりません。どんな分野に於いても、もう村意識は脱却しないと衰退以外の道がありません。もうやる人はやっています。
大きな舞台で音楽を鳴らしたいですね。