明けましておめでとうございます。今年も台湾の友人から教えてもらった新年の言葉で幕開けです。

昨年は音楽的にとても充実した仕事をさせて頂きました。今年も既成概念にとらわれずに淡々とやって行こうと思っています。私の中にまだまだ残っている、小さなこだわりや囚われをどんどんと削ぎ落として、もっとナチュラルな状態になって行きたいものです。こだわりや意地をパワーにしてゆく時代はもう私の中では終わりました。自分自身になりきって行くことこそ、良き音楽を創造する事に繋がります。また今年は樂琵琶のCDも作りたいと思っています。
今年のテーマは「洗練」です。今まで本当に多くの音楽家と関わって仕事をさせてもらい、特に昨年は、邦楽をはじめクラシック、フラメンコ、ジャズ等々色々なジャンルの方と御一緒させていただきましたが、そこ改めて感じたのは、一流には洗練があるという事です。二流と一流の差は、正にこの洗練だと思う事が多々ありました。
洋の東西、ジャンル問わず、洗練があるものは、それだけ多くの溢れんばかりの創造力によって昇華されて来たということ。個人的な部分での洗練も、作品という部分でも同様だと思います。素朴な民族芸能も新しい作品も、魅力あるものは沢山有りますが、洗練を経たものには深い感動があります。
日本が築き上げた洗練と言えば、雅楽、能、茶道、華道等がその代表だと思いますが、それら洗練の文化を今の形に具現化する。出来るかどうかは判りませんが、それが私の仕事だと思っています。
かつて三島由紀夫は
「流行を忌み嫌うものは時代に嫉妬しているだけだ」と言いました。時代は常に動いています。永田錦心や鶴田錦史の軌跡を想えば想う程、今改めて三島の言葉に共感を覚えます。個人の好き嫌いのレベルでしかものを見ないオタクのような感性では、洗練どころか、何も生み出すことは出来ないでしょう。
中世に「わび」の文化を創り上げ、近世にかけそれを「さび」へと昇華した日本文化の洗練は、正に創造性の爆発。旺盛な創造力があったからこそ、現在の日本文化の土台が生まれたと思います。その洗練をどう受け継いでゆけるか。形だけを追いかけては、とても至りません。どれだけその感性、創造性と接して行けるか、これからが私の正念場だと思っています。

さて今年は今月の26日に「劇団アドック」と我が邦楽アンサンブル「まろばし」の共同企画が川崎能楽堂であります。形に囚われずどんどんと新しいものへと進化して行く。これが私のやり方です。是非今年もご贔屓の程よろしくお願いいたします。
では、舞台でお待ちしています。今年もよろしくお願い申し上げます。