クリスマスは毎年世の中が華やいで、何となく気分も高揚してきますね。先日、東京フィルの第9演奏会に行ってきました。尾高忠明指揮、オペラシティーコンサートホールでの演奏でしたが、大ホールに満杯のお客様で、賑々しく、大変華やかな演奏会でした。

その後、私の方も年末恒例となっている蕎麦道心での年忘れ琵琶会をやってきました。だいぶ規模は違いますが、これも私の年末行事。今回は「勧進帳」をメインに演奏したのですが、こういうものを第9の代わりに、恒例にしてやって行ったらいいんじゃないかな?なんて思っています。考えてみれば、年末はクラシックと言うのも何だか変な話。年末位自分たちの音楽で盛り上がりましょうよ!歌舞伎なんかエンタテイメントとしては大変上質で、面白いと思うんですがね~~。「歌舞伎を観なくちゃ年が越せねえ!!」なんて声が聞こえた方が、日本は元気になって行くと思うのですが、如何でしょ?。
実は、年末は是非邦楽で年越し気分を味わいたい、と言うのが前々からの想いなんです。薩摩琵琶だったら「勧進帳」を3人の掛け合いでやるようなものが、丁々発止で実に面白いと思いますし、樂琵琶だったら、いつもの笛の相方に加え、歌や他の楽器もゲストに加えて、華やかな音楽を作っても良いかと思っています。勿論安易にクリスマスソングをやるなんてことは私にはあり得ません。あくまで新しい音楽をしっとりとやりますよ。

音楽には何よりも、演奏する側も、聴いている方にも、喜びが溢れている事が大事だと思います。その喜びは、目の前が楽しい、踊って笑って盛り上げて・・、という事ではありません。レベルの低い安易な賑やかし程空しいものはありません。個人的には賑々しいものより、静かに深く響いてくる音楽にこそ喜びを感じます。音楽の喜びを分かち合い、共感し、場に居る者皆の心が豊かになる・・・。音楽はそうであってほしいのです。邦楽にも、もっと柔らかな心で語りかける音楽が沢山あって良いと思います。父権的なパワー主義で「どうだ!」と威圧的に、権威的に押しつけようとするから、皆寄りつかなくなってしまうのです。先ずは相手を受け入れて、包み込まなくては。

これから邦楽も新しい価値観を持って、永田錦心のように新しい時代の音楽をどんどん作って行くべきだと思います。それが古典曲を活性化させるきっかけにもなる事でしょう。喜びに満ちて音楽をやっていたら、余計な重苦しい衣は必要無いのです。肩書きなんかさっさと下ろして、どんどん世の中に魅力ある音楽を響かせませんか。
地元の武蔵野教会
神田教会
私はお寺で演奏する事が多いのですが、時々教会に行くこともあります。先日も神田教会に行った時、パイプオルガンの伴奏で歌う讃美歌を聞いていたら、敬虔な気分になってきました。テノールの声が素晴らしかったこともありますが、それだけ音楽に力があるという事です。加えてキリスト教の牧師さん、神父さんはどんな人にも優しく、愛で包むように接する方が大変多い。愛に溢れているという事は、今の時代とても貴重であり、大切であり、見習いたい姿勢だと思います。自分と同調しない相手に対し、汚い言葉をすぐに吐こうとする人が溢れている現代にこそ、こういう姿勢が必要ではないでしょうか。
毎度書きますが、愛を語れない音楽に魅力は無い。流派や階級などが先に来るような音楽では、誰もそこに魅力を感じないのは当たり前の事。私は日本音楽の魅力を発信したい。正統派でも、偉いでもない、喜びに溢れる音楽をやりたい。その為にもクオリティーの高いものでなくては!

師走の風に吹かれて、想いが満ちてきました。