ギフト

甘樫丘3

先日のH氏急逝はかなりショックな出来事ではありましたが、やっと少しづつ普段のペースに戻りつつあります。実はここ一週間で3回も本番があったのですが、H氏に背中を押されているようで、しっかり演奏が出来ました。それに私の周りには本当に素晴らしい仲間達が沢山居て、そんな仲間たちと会ったり話をしたりすることで随分と気分が軽くなりました。人生色々なことがあるんですね。今回は仲間のありがたみを身に沁みて感じました。人間はやっぱり触れ合い、語り合ってこそ生きて行けるのですね。H氏に「今頃判ったか!」と言われているようです。

氏からは色々な事を教わりましたが、一番受け継ぐべきはやはり心ですね。物でも地位でも知識でもないです。H氏の物事を深く見つめてゆく、その眼差しは私を常に導いてくれましたが、それは今一番大きな財産として私の中に受け継がせてもらってます。

seingakubiwaH氏がよく弾いていた琵琶

とにかくやっと気持ちが落ち着いてみると、H氏が亡くなったことで、改めて気付かせられた事、もたらされた事が沢山ありました。また、それまで会った事はあっても、あまり交流のなかったH氏のお弟子さんやお仲間と、今回色々とやり取りをさせて頂きましたが、まるでH氏が自分の代わりとして、その方々に縁をつないでくれたかのようです。その中のお一人から素敵なメッセージを頂きました。

「誰かが亡くなるということは、
その人からのギフトがやってくる、ということでもあったりします。 それは、その方が持っていた素晴らしいエッセンスが自分に統合される時です。それを生かしていくことがその方への供養になると思いませんか?」

私は確かにH氏からギフトを受け取りました。それを今後どう受け継いでゆけるか、私の器にかかっていると思いますが、何しろ私なりに、そのギフトを生かしてゆきたいと思います。

biwa-no-e2

昨日は定例の琵琶樂人倶楽部でした。永田錦心の特集をしたのですが、私はやはり永田錦心から、その精神を受け継がせてもらったと思っています。永田錦心は弾かれたレールの上には乗らなかったし、技で勝負しようとしたいわゆる「名人」とは全く次元が違う所で活動しました。あくまで独自のセンスで時代を切り開き、自分でレールを引き、その類まれなセンスで時代をリードしました。だから肩書きや権威を誇示し、組織や体制の中で虚勢を張っている音楽家を、永田錦心は徹底的に嫌いました。余計な衣は要らない。純粋に何処までも音楽で表現するもの、という永田錦心の潔癖な芸術的精神を、私はこれからも大事にしたいと思います。永田錦心の志と活動は永遠に語り継がれる事と思いますが、それこそが永田錦心からのギフトだと私は思っています。

H氏も「技はもういい、上手なのは判ってるよ。そんなことをひけらかしても意味はない」とよく言っていました。そして、ちょっと気恥ずかしい言葉ではありますが、逢う度に「愛を語り、届ける人であってほしい」と常に何度も何度も私に向かって言っていたのを想い出します。

演奏会1

私はH氏から確かにギフトを受け取りました。それを今後の人生で生かしてゆくことが使命だと思います。しかしそのギフトを次の世代に受け渡してゆくことも、また大きな使命として私に与えられたのだと思うのです。


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