先日は、故香川一朝さんの命日でした。一朝さんと共に立ち上げたアンサンブルグループ「まろばし」の応援団長 井尻先生と一緒に、一朝さんの地元小田原に行ってきました。

現在、尺八界は若手で上手い奴が沢山居ます。皆それぞれに活躍し活況を呈しているのですが、音が鳴る=パワフルというタイプが多いですね。なかなか静かに満ちてゆく一朝さんのようなスタイルの人は居ません。しかしこれも時代の変化だし、きっとこの方向でまた、心にしみるような演奏をする人も出て来ることでしょう。勿論私はそういう有能な若手を応援していきたいのですが、ごくごく個人的な想いとしては、一朝さんのあの音色はやはり捨てがたいものがあります。一朝さんの音色はいつも場に満ちるように、静かに静かに漂って広がって行きました。あの本曲の演奏は忘れられないですね。パワー主義の対極にあるような、でもゆるぎない、しっかりとした存在感を持って響き渡っていました。
今、世の中のもの大半が、強く、早く、軽く、と便利で刹那的な方向にどんどんと向い、そのために知識や理論が費やされ、社会全体が生き急いでいるかのように私には思えます。音楽も、どんどんこの調子でスピードやパワー重視の表面的なものになってきているような気がしてなりません。
演奏でピアニシモほど難しいのは皆様ご存じの通り。それはしっかりとした支えがなければ出すことが出来ないからです。その支えのためにこそ、表に出ないこういう所にこそ、知識と理論を惜しまないでもらいたいものですね。
そして真に力強いものの裏側には、必ず静寂があるものです。それが無い、ただ勢いに任せただけの強さは、どうしてもそこに落ち着かないものを感じてしまいますね。音楽でも政治でも・・・。
一朝さんと「まろばし」をやっている時には、何よりも音色やアンサンブルが最優先でした。一朝さんの持っている世界が私をそういう方向に導いていたのでしょう。若手の田中黎山君と一朝さんがデュエットした「二つの月~二管の尺八のために」を練習している時は、先輩後輩関係なく、尺八奏者として対等にアンサンブルを作り上げ、音色や息の使い方など、とことんやっていたのを思い出します。
やっぱり音楽に身をゆだねている時、聴いている人も、演奏している人も、其々が本来自分のあるべき所に帰ってゆくような時間であってほしいですものね。一朝さんの周りは皆、そんな音楽を作り上げるのに夢中でした。欲望によって経済が回り、世の中が成り立っているともいえる現代に於いて、一朝さんと一緒に演奏した時間は、充実した貴重なひと時でした。


一朝さんは、私の視野が届かない所に光を当てて、いつも私を無言で導いてくれました。そして「時代の音を創れ」と常に背中を押して、新作を書くことを応援してくれました。私はそんな一朝さんの心意気に支えられて、今があるのです。私にはまだ余裕がありませんが、今度は私が若い世代に対し、そんな応援をする役なのでしょうね。
さて、また新曲作りますか!!