梅花の季節2013

今年も梅の季節がやってきました。私は毎年この時期がとても楽しみなんです。桜も勿論好きなんですが、寒い時期に花を咲かせて、見ている人の心をそっとほぐす、梅のひそやかさは何ともいいですね。

          紅梅6sphoto Mori osamu

今の世の中は、何でも派手で、目の前の面白さばかりが優先します。いつの時代にもこういうものがあるとはいえ、今は一発屋みたいなものばかりが闊歩している。これを時代の流れやセンスだ、と言ってしまう事も出来ますが、それではものも人も育たない。長い時を耐えて、この寒い時期に咲き、人を和ませ、春には桜にその座をひっそりと譲るような梅花の感性は何処に行ってしまったのか・・・。

photo Mori osamu
白梅1世の中を見渡してみると、本当に梅花のような人が少なくなってしまいました。舞台人なら売れる事も大切なのですが、キャラ優先で、派手派手しく物珍しさで売るばかりでは、衰退して行くだけです。また逆に自分の殻に閉じこもって、小さな世界で生きているだけの人も多くなりました。

梅花のようにひそやかで、且つ大地に根差し、繊細で可愛いほほ笑みを持った人は、今の世の中では押しつぶされてしまう。

          紅梅3sphoto Mori osamu

それはまるで、穏やかに生き、ゆったりと歩む生き方が現代では許されないかのようです。常に最先端を追いかけ、PCやネットに対応し、鼻息荒く発言し、活動する人でなければ、現代は注目も、受け入れもしてくれないのでしょうか。もし色々な生き方が許されないのであれば、それは専制主義国家と同じです。自由という幻想の中に放り込まれ、実は皆同じ方向に向かって、死ぬまで息を切らせて走らされているのが、現代日本の姿なのではないでしょうか。

能力や成果を常に他人と比べて、社会のレールの先端に紅梅5s行くことを良しとするのは、あまりに狭い生き方だと、誰もが思う事でしょう。毎日がコンクールで争っているようなものです。世の中を自分の足でじっくりと時間をかけて歩き、学び、自然な笑顔で生きる事が、私には一番大事なような気がします。人間をステレオタイプでくくったら、もはや人で無くなってしまう。今、日本人は梅花のようにひそやかに、自然に逆らうことなく、自分のペースで生きる事の素晴らしさと幸せを忘れているのではないか、と思えて仕方が無いのです。
                                                                        
                                           
日本は物質の文化ではないと思います。精神こそが日本の誇るべき文化だと私は思います。豪華なもの、見事なものを誇るのではなく、気高く崇高な精神こそ日本の日本たる文化だと思うのです。そこから、あの魅力的な音楽も美術も生まれてきたのだと思います。
紅梅2
私は梅花のあのほほ笑みを忘れない。たとえ儚く散ってしまったとしても、また次に芽吹く時まで想いをじっと胸に秘めて過ごしたい。そして私の演奏するする琵琶の音には、どこかに梅花のほほ笑みを宿していたいものです。
あのほほ笑みを日本人が感じなくなった時、日本の文化は滅びてしまうのかもしれません。

さあ、梅花を見に行きましょう。今が見頃ですよ。

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