劇団アドックの「青い棘」(原作:三浦綾子、脚本:神尾哲人)を観てきました。
私はアドックが2009年に横浜レンガ倉庫で上演した「雛」(原作:芥川龍之介 脚本:神尾哲人)に参加した事もあって、アドックの公演は毎年欠かさず観に行ってますが、商業演劇とは一線を画す社会派のアドックらしく、今回も充実した内容でした。
形を整えることでとりあえず満足してしまうのは、日本人の良くない所でしょう。コンビニなどで、やたら丁寧にお辞儀をするのが最近目につきますが、そこに心を込めているわけではないのが見える事がしばしばあります。「とりあえず形」の典型かもしれません。邦楽は「古典」の名のもとに、形ばかりをなぞって、現代に生きる人の感動や想いそっちのけで、中身を創る事を怠ったからこそ、現代のこの衰退を招いたのだ思います。肝心なものは形ではなく、中身です。その中身をどのようにして現代に、次世代に伝えるか、そこを無くして「古典」も「継承」もありえません。
個の生物としての命はそう長くは続きません。でも想いは繋がって行く。生物的な命だけでなく、想いという命もまた受け継がれて行くと思います。命を繋げて行くのが生物の本能だとすれば、音楽も文学もその命を伝える為にあらゆる事をするのは当然かもしれません。組織や権威はそこに要らない。命が繋がることが大事なのです。中身の無い形は程なく滅びて行きます。今邦楽も琵琶も、形だけでなく、永田錦心がやったように、根本的な哲学を変えてでも次世代に「繋げて」ゆくことこそ最優先なのではないでしょうか。
アドックの舞台はその内容だけでなく、伝える、継承するという事においても多くの示唆がありました。