この一年は、今までの人生の中でも、「あっという間」の一年でした。年を取ったという事でしょうか。昨年末の事を想うと、まるでつい先日の事のようです。そんな今年一年間ではありましたが、いつもの事ながら今年も多くの方にお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
人間たまには過去を振り返るということも大切です。「運命とは過去を振り返った時に初めて想うこと」と何かの本に書いてありましたが、人でも物でも最初の出逢いから現在まで、その出逢いをどんな形で自分の中で育んできたか、その過程があって初めて運命という実感が持てるのでしょう。
私は若き日に琵琶と出逢い、特にこの10数年本当にいい仕事をさせてもらったと思っています。そしてまたここ1,2年が一つの節目となり、来年は何か新たな時代が幕を開けるような予感もしています。言い方を変えると運命を感じているということです。
以前は、理解も受け入れも全然出来なかったものが、今はしっかりとその価値が判ることがあります。何故あの頃見えなかったのか残念なほどに、今になると判るのです。まあ私のような天の邪鬼は、理解には時間がかかるという事でしょうか。いずれにしろ私という人間も年を重ねるごとに変わってきた、という事でしょう。どんなものであれ、これからの自分の新たな時代が、柔軟で視野の広い、豊かな時代であると嬉しいです。
人間は自分の価値観をそうそう簡単には変えられません。一見柔軟なような姿勢を見せていても、自分の価値観以外のものを本当に受け入れることは、なかなか出来ません。私自身も、色々音楽と関わっていますが、やっぱり洗練された音楽が(音楽以外でも)好きです。ルーツ系にはそれなりに興味を持っても、自分の音楽としては向かわない。どうしても洗練の方向に向いてしまう。それが私という人間なのでしょう。
ただ変えられない価値観であっても、小さな所で満足し、そこに留まってしまうか、それとも先に進むか、それはその人次第。突っ走らなくてもいい、自分のペースで進んで行けば良いのです。どんな状況でも怯まず、留まることなく想う所を淡々と進む。それが私のやり方。今までもそうしてきましたが、これからもそうして行きたいと思っています。
「波騒は世の常」と言いますが、これから私は今以上に、波騒とは遠く離れて行く事と思います。これもまた私に与えられた運命なのかもしれません。
先日シャルダン展を観てきました。静物画や風俗画は特に興味は無かったのですが、あらためて観てみると、色々なものが見えてきました。以前はほとんど受け入れることも無かったこういうジャンルのものも、今はすんなりと自分の中に入ってくるのです。これが年を経るということでしょうか。周りの影響もあいまって、私の感性も少しづつ広がって来ているのかもしれません。
この絵は「Bénédicité」というもので、食事の前に祈りをささげる子供の姿を描いたものです。訳すと「祝福あれ」という意味です。
現代の社会にも、私の周りの人々にも、そして私自身にも「祝福あれ」という言葉を捧げられるようでありたいものです。年を重ねるほどに、そうありたいですね。
今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。