想い出はうすぼけた空の色

この所何かとあわただしい。忙しいのは結構なことですが、日々が足早に過ぎ去るばかりで・・。もっと物事にじっくりと向き合って生きて行きたいものですね。

良い事、悪い事色々な記憶や想い出は色々とありますが、人間は身勝手なものですから、自分にとって大事な部分は都合よく膨らませて悦に入り、あとはしっかり空の彼方へ押しやって、反省もしない。まあそうでもしないと生きて行けないのが、人の世というものなのでしょうか。

        huji

先日は母の見舞いに行ってきました。母は少しずつ認知症が出てきているらしく、何だか会いに行く度にふわっと軽くなっていくように見えます。考えてみれば、年をとって色々な記憶が薄れ、まっさらな状態になって、お勤めを終えて行くのも良いのかもしれないです。「覚えていて欲しい」などというのは、日々カッカして生きている我々の言い分でしかないのだから、人生の重荷を下ろして、身軽になって行くのはむしろ当然の事、そんな風にも思えてきました。
しかしながら私はまだ今生を生きなくてはならない。泣いて笑って、時に戦って、やるべき事を成さなければならない。それはいつしか空に消えて行く小さな出来事であっても、まっさらさらになるまでは、今生を全うしなければならないのです。

だからこそ、何があろうとも、とにかく良い作品を残したいという想いが湧き上がります。しかしそんな想いで作った「作品」は無情なまでに自分の手を離れると独り歩きをし、作品独自の「命」を生きるものです。芸術家はその誕生の時をちょっとお手伝いする事だけしか出来ません。

huji2個人の想い出や願望など、大自然の中にあっては、うすぼけた空にいつしか消えてなくなってしまうもの。あまりにも小さく、はかなく、刹那な存在でしかないですね。この体もお勤めを終えれば、一物も無く消えてゆきます。それでも、たとえ無記名の作品であっても何か残したいというのが芸術家の最後のエゴなのでしょうね。

歩む「歩み」佐藤三津江作

PS:先週は、よくここで紹介している陶芸家の佐藤三津江さんの展示会があったので行ってきました。作品は相変わらず個性的で生き生きして、静止している作品なのに、そこには「動」を感じます。作品が歩いてきたんじゃないかと思えるような肉感的な「動」が更に強くなったような気がしました。

まだまだしっかり生きて行かんと!


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