樂琵琶宣言

今回の楽琵琶のCD「風の軌跡」を出したことで、私の中で、色々と変化が出てきました。

私が一番最初に琵琶を習ったのは、四弦四柱の錦心流でした。しばらくやってみたけれど、弾き語りがメインの流派だったこともあり、器楽として琵琶を弾きたい私は、ほどなく器楽の演奏をよくやっている五弦の錦琵琶鶴田流に鞍替えしたのです。鞍替えしてすぐさまライブ活動に入ったものの、レパートリーも少なく、いつもギターのピックを持ち歩き「ギター弾いたらもっと凄いんだ」といつも自分に言い訳を用意していたのを想い出します。自信無かったんでしょうね。

        okumura photo9我が愛器 塩高スペシャル錦琵琶

3年ほどしてやっと琵琶でやってゆく決心がついて、その後、全曲私の作曲によるファーストアルバム「Orientaleyes」を出すことになったのです。それが今から10年程前の話。声は使っているものの、歌や語りは入っていません。この頃には変な迷いjacketsはなかったですね。レーベルもジャズのレーベルだったので、自分の音楽を思う形で世に出すことが出来、本当にただただ嬉しかったという記憶しかありません。沖至、坂田明、小山章太、詩人の白石かずこ、ジャズチェロの翠川敬基・・・こんな凄い音楽家が集うレーベルだったので、今までやってきたジャズがより進化し、私のオリジナルの音楽が、やっと形になり世に現れた、そんな想いでいっぱいでした。若さゆえの稚拙さも多々ありますが、今でもこのCDはお気に入りです。

その後琵琶奏者として活動して行くうえで、平家の語りが出来ないと仕事にならないので、弾き語りを始めたのですが、下手だ下手だと言われながらも、割と何でも起用に出来てしまう性質なので、まあ順調にやってきました。今考えれば、薩摩琵琶=弾き語り、という世界に囚われていたともいえるし、進化の途中だったとも言えると思います。

そういう中で楽琵琶に出会ったのです。さっそく楽琵琶でもライブを始めたものの、薩摩琵琶をパワフルに弾ききる事でしか、まだ表現することが出来なかったので、最初はギターから転向した時のように、「薩摩を弾いたらもっと凄いんだ」という言い訳をやはり自分に持っていました。なんというか私は進化していないですね。

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それでも楽琵琶の最初のCD「流沙の琵琶」を出す頃には、ようやく納得いくように弾けて来たのですが、まだ演奏会は薩摩と楽琵琶の半々でした。それが今から5年前。そして今回楽琵琶の2枚目「風の軌跡」を出すことで、自分に一つの決心がつきました。

色々やってきて、やはり私は歌う人ではないと思います。もともと現代音楽志向だし、ポップスは聴かないし、ロックでもジェフベックの一連のインストものやプログレに憧れてきた方なので、やはり器楽の方が合っている。今回のCDは色々な意味で、私の一番私らしい作品になったと思っています。「Orientaleyes」から10年。紆余曲折を経て、薩摩琵琶の「弾き語りでなければ」という呪縛も解け、やっと自分の音楽を取り戻した感じがしています。

薩摩琵琶はどうしても語りとセット、というのが今までの琵琶の世界ですが、私はそもそも自分の作曲作品を琵琶という魅力的な音色の楽器で弾く事から出発し、それ目的としていたので、10年経ってやっと、薩摩琵琶の因習から解放され、自分を取り戻したという感じがしているのです。これからは薩摩琵琶でもがんがんインストものをやって行きたいですね。

個人の感情を表現する音楽は、私はあまり好きではないのです。個人や人間はあくまで陰にあって、音が無限に想像力を掻き立てるようなものであってほしい。そのためにはやはり私の音楽に言葉は無い方がよいのです。そして空間がいっぱいあった方がよい。言葉という限定されたイメージは、私の音楽には向かない。声は魅力的だけど、言葉を乗せる音楽は他の人に任せよう。

楽器としての琵琶の音色は、私にお任せあれ。これからが楽しみだ。

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