祈りの時

昨日、6枚目となる次のCDの録音が終わりました。タイトルは「風の軌跡 Traces of the Wind」です。今回は超難曲が一曲あり、ちょっとてこずりましたが、まあ何とかなりました。

               2011-6-30-1recording

今回は笛の大浦さんとのデュオ Reflections の録音で、私は楽琵琶弾いてます。場所は富士見市民文化会館 キラリふじみホールを使いました。毎回響きの良いホールを借り切って、ステレオマイクの一発録りをするので、デュオの場合、どちらかだけ別に録り直しということが出来ません。スタジオでマルチ録音すればそれも出来ますが、そうすると空気感が全く録れないので、最近は、芸術系の音楽はほとんど、我々のように響きの良い場所を探して、高性能マイクで一発録音をするのが主流になって来ています。9月末には完成の予定です。乞うご期待!!

レコーディングなどしていますと、やっているときは無心でやっていますが、一息ついてほっとすると、色々な人の想いや祈り、期待というものをじんわりと感じます。まあ私の存在など小さなものでしかありませんが、離れていても、静かに祈りを持って見つめていてくれる人や、一言かけて元気つけてくれる人etc.小さな小さな私も、色々な人の想い、祈りに包まれているようです。嬉しいですね。

                デューラー祈りの手
これは皆さんご存知だと思いますが、デューラーの「祈りの手」。絵筆を持てなくなった友人が、デューラーの事を想い、祈る時の手だそうです。
「祈り」という言葉にネガティブな印象を持つ人はほとんどいないでしょう。祈る時、人は宗教、哲学、思想を越えてしまいます。所詮宗教も哲学も人間の作り出したもの。我々はアカデミックな権威や、難しい理論等、ともするとそんな物に惑わされがちですが、そんな人間の頭で考えられた世界を、「祈り」は一瞬にして飛び越えてゆく、といっても良いかもしれません。

人は何故祈るのでしょうか。人間よりも更に大きな存在をどこかで感じているからでしょうか。
宮本武蔵宮本武蔵は「神仏を尊び、神仏に頼らず」と言い残していますが、武蔵もまた、人間の手の届かない、人智を超えた世界を感じていたのでしょうか。
人間は海や山、川など自然を作りだす事は出来ません。個人一人一人も、自分で選んで生まれてきた訳では無いのです。全ては与えられたいのちであり、運命であり、それを懸命に生きるのが我々なのです。

現代はポジティブシンキングが蔓延し、人間中心主義の時代といわれます。神仏に頼って生きるのは、結して良いとは思いませんが、常に生かされている命を感じていれば、がんばろうとすればする程、武蔵のように自ずと謙虚になろうというもの。私達は生かされているが故に、生きているのです。

今年は震災もあり、原発事故もあり、色んなことが身に降りかかっていますが、この地球上での人間のあり方が問われている気がします。そしてどのような想いを持って生きるのか、その答えを突きつけられているかのようです。
時代は祈り一つで変わってゆくのです。

                 富士山

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.