根本雅也 playsicシリーズ5周年記念ライブ

先週、形態模写芸人 根本正也君の記念ライブに行ってきました。

赤阪チラシ根本君については今までこのブログでも紹介してきたのですが、今回はシリーズ5周年の記念ライブということもあり、いつもの下北沢ロフトから、赤阪グラフィティーに場所を変え、一段と充実した内容になっていました。

根本雅也HP  http://playsic.blog91.fc2.com/

彼はいつも現代社会を彼なりのやり方で風刺しています。笑いあり、ペーソスありのその舞台は一人芝居という言葉がよく似合う。舞台中に流す音楽も、今ライブシーンの最先端で活躍しているミュージシャンの音源を使っているところが、とても良い感じなのです。
彼の芸は、権威やアカデミックの気配がする名人芸の正に対極にあって、何ものにも全く寄りかからない、とってもピュアな芸です。そして常にエンタテイメントであり、現代社会に根ざしているところが人を惹きつけるのでしょう。

いつも彼の舞台を見ていると、その明確な視点を感じます。哲学を表現するような芸術作品ではないけれど、舞台の先に彼が表現したいと思っている姿がちゃんと見えてくる。上手いも下手も無い、全てがオリジナルなのです。
何かのカテゴリーや流派などの固定化した価値基準の枠の中で「上手」を見せるものでは無い。伝統の型はそこには微塵も無く、でも日本人としての感性はちゃんと受け継いでいる。現代に生きる日本人としての感性を忘れ去ってしまった伝統邦楽の事を考えれば、根本君の方が日本の芸能として認知されても良い位です。私は、彼の独自性一本で勝負している所に、同じ舞台人として共感してしまうんですね。

受賞歴や肩書きを常にぶら下げておかなければいられない先生方に一度見せてやりたい!これこそが舞台の原初のあり方ってもんです。

 

これは終演後のスナップ。今回はエムジャムを主催しているアレンジャー・ジャズボーカリストの伊達佑介さんが仕掛け人なので、伊達さん率いるジンフィーズもゲスト出演して盛り上がりました。皆良い笑顔をしてます。

舞台を作る、舞台全体を務める、という意識が邦楽の音楽家にはほとんど無い。皆さん自分の演奏する曲に一生懸命なだけで、舞台を張るという意識が無い。つまりはお稽古事の延長ということですが、これからはそんな名人芸を並べた所で、お客さんは聴いてはくれません。演目だって十八番をやっても、今を生きている現代人にはさっぱり判らない。現代そして次世代に向けてやるべき曲は、作っていかなくてはいけないのです。
芸能でも芸術でも、常に時代とともに在ってこそ、その存在理由がある。永田錦心、宮城道雄、沢井忠夫、水藤錦穣、鶴田錦史、八橋検校、こうした過去の先人達の足跡を見れば明らかじゃないですか。

根本君はこれからもどんどん走り続けるでしょう。私は彼の舞台をずっと見て行きたいと思ってます。おいらもがんばるぞ!弁天様もしっかりご覧になっている。

弁天28

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