泉の如く

これは、我が故郷 静岡の柿田川湧水の湧き水です。富士山からの恵みなのです。東洋一きれいな水と言われていますが、何時行ってもこんこんと湧き出ています。

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忍野八海1
こちらは同じく、富士の麓にある忍野八海の湧き水。八海の名の通り、八箇所から豊かに湧き出てます。

恵み多き故郷はありがたいものです。

今、秋に出す楽琵琶と笛のデュオCDの為に、笛のソロ曲がどうしても欲しくて作曲しています。 今回のテーマは「風」。それもこのデュオの根幹であるシルクロードから、私達が文化を育んだ日本へと渡ってきた「風」。そんな風に想いを巡らしています。
残念ながら、私には泉のように湧き出るような才能はないので、なかなか音に表すのが難しい。でもそれよりも、聞いてくれる人が、私の曲を聞いて、泉の如く豊かな情景や想いが溢れてくれるかな?そうだと嬉しいのです。  

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人間は「生かされている」と仏教ではよくいわれます。 湧き水一つ見てもそんな想いが湧いてきますが、私が今こうして作曲し、琵琶を弾いていることがすでに、奇跡の連続によってもたらされた事だと思います。生命がこの地球にがはじまって何億年か知りませんが、そのどこかで一度でも命の連鎖が途絶えていたら、私はここに居ないのです。
そして単に生命の連鎖だけでなく、私という個人を取り巻く多くのものによって、私は私として成り立っているのです。 

             柿田川1
家族は静かに、ゆっくりと泉の如く愛情を注いでくれているでしょう。中には今、恋人からの溢れんばかりの想いに包まれている人も居るでしょう。命が繫がり継承されてゆくには、そうした泉の如く溢れるほどの愛情に包まれ、包みあう事が必要なのだと思います。
私の友人のブログにとてもよい言葉が載っていました。

「自分に関わる大切な人の後ろには、ずっとずっと人が繋がっていて大勢の人を助ける事は無理でも、自分にとって大切な人を愛し、抱きしめる事が、そのまた向こうへの道に繋がっている」

この国難ともいう時期に、私は無力です。琵琶など何も役には立たないのです。でも、自分の大切な人を愛し、抱きしめる事は出来る。質素かもしれないが、一緒に豊かな時間を過ごす事も出来る。泉のようには上手く溢れ出なくても、自分なりのやり方で少しでも潤いを与え、一緒に分かち合う事は出来そうです。

そんな想いを、曲を作りながら感じました。
私の曲は誰かを包み、優しく、そして強く支えてあげる事は出来るだろうか。薄っぺらいその場限りの癒しじゃなくて、ヤンリーピンのように、奥底から湧き上がる力強さを持って、しなやかに手を差し伸べ、繋いでゆく、そんな深い泉でありたい。

              ヤンリーピン18

               
      

             

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