しなやかさと、優しさと、そして強さ・・

             

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ヤン・リーピンの衝撃は未だ続いています。時が経つにつれ、舞台そのものよりも彼女の舞台にかける姿勢への感銘が、私に多くの事を考えさせる様になってきました。

東京は一見平静を取り戻しつつあるように見えますが、そうではない。これからが本番です。今変わらなければ、日本は本当に沈んでしまう。何をどう変えるべきなのか、大いに問われているのだと思います。

変わるには「しなやかさ」が必要です。「優しさ」が必要です。そういった、今我々に求められている基本姿勢がヤンリーピンの舞台から感じられました。

           ヤンリーピン20

何故、農民をスカウトして世界一流の舞台をやろうと思ったのか。それは、都会に住む洋舞・洋楽を勉強しているいわば半西洋人は、すでに本来の生活も身体も失い、民族の踊りが踊れなくなっているからだと思います。我々現代の邦楽人もそうですが、確実に感覚が矯正を受けている。古来からの生活様式はもはや現代には無く、良い声や、良い音の基準すら判らなくなって、綿々と伝えられてきた文化はここ何十年かで急激に失われつつあるのです。

ヤンリーピン14そんな状況も含め、舞台を作り上げるには、様々な事をクリアしなくてはいけません。スポンサーやお金、広告etc.ヤン・リーピンは大きなヴィジョンを持ち、それら全てをクリアし、志を貫き、具現化させている。それをやり遂げるには、しなやかさを持って、状況に、人間に対応し、変化する力強さが必要です。

私のような末端の音楽家でも、舞台をやるには色々とあります。でもいつも思うのが、「しなやかさは優しさであり、力強さである」という事です。ちっぽけな自分の世界観だけでものを見たり、意見をしていては、人は何も納得してくれない。深い優しさを持って接すれば、自分と違う意見を持つ相手も受け入れることが出来、しなやかに変化して行く事を恐れなければ、強い絆も生まれ、ゆるぎない強さをもたらします。

深い優しさが無ければ、しなやかさも生まれない。そして変化する力強さも生み出せない。そこには反発しか生まれない。何だか邦楽界が見えてくるようです。

            御苑2011-2

桜は何逆らうことなく、奢りなく、振り回されず、季節や環境に合わせて自分に与えられた仕事を全うしている。人間もそうでありたいのですが、どうしても我欲から離れられない。もっと咲いていて欲しい。桜吹雪が綺麗。そんな事すら人間の願望であり、欲でしかない。
欲はある種の原動力でもありますが、その欲は大いなるヴィジョンへ、次代への希望へと繋がっていかなければ、単なる自らを縛る鎖でしかない。

ヤン・リーピンの舞台からは充分すぎるくらいに力強さを感じました。でもそれは圧倒的に威圧する様なものではなかった。とてもしなやかで、優しい感じがした。そしてヴィジョンを実現した彼女の姿には、強い意志と共に、見ているだけで包まれてしまうような、ふわりとした柔らかさも感じたのです。

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