始動

外はもうすっかり春の日差しになり、今週末には桜も大分咲くようです。
すでに、桃や杏、ハクモクレンなど春の花はその煌きを謳歌し始めています。

             白桃photo MORI Osamu

被災地は、まだまだ復興には程遠いのだと思いますが、この春の陽が希望の光となって注がれる事を願って止みません。

私はお陰様で心身ともに回復しました。まだ万全ではありませんが、もう普段どおりに戻りつつあります。

こういう時期には色々なことを考えざるを得ません。まして今回は体調の不良もあり、多くの事を思う時間となりました。
仲達がいかに大事な存在であるか、自分がどんな人間であるか、音楽の無力とそして大いなる魅力。自分の進むべき道と理由etc.数多くのことが頭に浮かんでくるのですが、一番思った事は、色々なものを受け入れる器の大きさということでした。

この国難ともいうべき時にあっては、有無を言わせないくらいの指導力が求められるでしょう。政治家には特に今、そうあって欲しいですね。
しかし、我々のような一個人が、いつも主義主張を振りかざしているだけでは何も成就しません。もっと強いもの、大きいものにあっさりとやられてしまう。どんな事態が起こっても、どんな意見・批判に晒されても、それらを受け入れ、常によき方向に、しなやかに変化して行ける心の柔軟さと強さがないと、事は前には進まないのだと思います。

            弁天9

人はほんの少し勉強したり経験を積んだりすると、そこから見えるものを自分の意見だと思ってしまう。目の前の情報に直ぐ踊らされるのもまたしかり。しかし人間一人が持ち合わせている情報や経験などたかが知れている。下手な知識や経験、もっと言えば立場や肩書きなどを持っているが為に、他の意見も聞こえず、見えるものも見えなくなってしまう。

しっかりとした意見を持って生きる事はとても大事なこと。そして色々な情報を、その時々で纏め上げてゆく知性もまた必要ですが、同時に常に心を純粋な状態にして、他を受け入れて、自らが変化してゆく事を恐れてはいけないと思います。いくら自分が努力して積み上げたものであっても、時代と共に変化してゆくのは当然なのです。自分を認めてくれる世界だけに住み、自分と同じ意見の者だけを相手にしていたら、いつしか孤立してしまう。 
 
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私は今回の震災を目の当りにして、この風土に生まれ育った日本人の「核」を感じました。海外からも日本人の質を賞賛する声が上がりましたが、その「核」は形を伴ったものでないし、むしろ形はなどなく、あったとしても常に変化して行くと思います。そして脈々と確実に受け継がれてゆくものだと思いました。

琵琶は古い形を伝える楽器です。確かに日本のある種のアイデンティティーを表現する音楽が、古い昔に出来上がりました。しかし形式や過去の作品に固執していたのでは、その「核」もぼやけてしまいます。伝えるべきはそんなものでは無い。私がやるべきものは、その「核」なのです。

古い形のものを背負っていても、中身は「核」を中心として、常に変化してゆくようでありたい。そしてそれが日本人全体で共有できるものでありたい。一過性の流行ではなく、長きに渡って共感を得てゆくものでありたい。

さ、これからまた琵琶を抱えて飛び出してゆきます。春はもう直ぐなのです。

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