絃の響き

今日はこのブログでも時々紹介している、作曲家の郡司敦君の新作初演に行ってきました。

郡司ライブ
現在私の知る限り、作曲家で琵琶のことを今、一番判っているのは郡司君だと思います。彼は琵琶だけでなく、筝や尺八など他の邦楽器にも積極的に取り組んでいるので、今後に期待できる作曲家の一人です。

そんな彼の今日の作品は、筝3人、十七絃一人、弦楽4重奏という編成。ちょうど時間が空いていたことに加え、実はこの曲を11月に、尺八・ピアノ・琵琶で再演しようということになっているので、勇んで出かけていきました。

今日の作品は全部が弦楽器だったのですが、絃の響きにも西洋と東洋、明らかな文化の違いがあるのだな、と思いました。文化の違いと言えばそれまでですが、そこには相容れないものが確かにあり、逆に良い場面を整えてあげると調和するポイントが見出せる。今日の郡司君の作品にはその両方がはっきりと見て取れました。大いに期待できるものですが、かなり課題もある、今、彼はそんな中にいるのだ、と思いました。

かつての現代邦楽のように、ただただ楽器の限界に挑戦するような時代はもう終わりました。洋楽コンプレックスの時代も終わりました。邦楽器は正に今、現代そして次代に対し何をすべきか問われています。もちろん私もどんどん突き進んでゆきますが、郡司君のような若き才能こそが、きっと答えを出してくれるでしょう。大いに期待しています。

現在、筝はそのほとんどがテトロンという絃を使っていて、絹糸はほとんど使われていません。琵琶はまだ絹糸なんですが、耐久性や音量、価格の問題で、絹糸の需要はほとんど無くなり、どんどんテトロンになって来ています。ヴァイオリンやチェロもガットを使っている人はほとんどいません。これも時代というものでしょうか。

最近では筝糸の有名な製造業者が廃業するなど、かなり厳しい現実があります。私の使っている、滋賀県の丸三ハシモトというメーカーも廃業説が飛び交うようなこの頃です。
必要のないもの、需要のないものは世の中から消えてゆくのが現実です。いくら私一人ががんばっても大した成果は上がらないかもしれません。でも絹の絃を無くしてはいけないのです。それは日本文化の誇りなのです。日本文化の存在証明なのです。

常に合理性と利便性を追求する西洋文化、大陸文化で世の中が回ってしまっては、多様で豊穣な人間の営みは破壊されてしまいます。画一化された価値観で全部が統一されてしまった時、人間の文化は衰退し、人類もまた衰退して行くのです。

秦琴という中国の楽器を独自に演奏している、深草アキさんは丸三ハシモトに出向いて、糸縒りの具合まで指定して作ってもらっていると言っていましたが、私も特殊な絃を使っているので、私専用の太さと長さで作ってもらっています。
そんな私が、今、何をすべきか今日の作品を聞きながら色々と考えてしまいました。

仮題は大きいのです。

t11トンボは絶対に後に進まない。常に前にしか進まない縁起物なのです。

私はいつもトンボの柄の布ケースに包んで琵琶を運んでいます。気持ちだけでも前に進まないと・・!

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