三寒四温ですね。ちょっと極端に下がるので身体が付いて行きません。更に花粉も加わり、毎年この時期になると体調を崩してしまいます。今年は周りで寝込んでいる仲間も何人かいまして、春は要注意の季節なんです。まあそれなりの年齢という事なんでしょうね。
皆さんは虹にどんなメージを持っているでしょうか。最近何故か虹が気になるのです。私は色々な国や民族の神話が好きで時々読むのですが、虹について書かれているものが意外と多いんです。日本にもありますし、アボリジナルの神話なんかにも出て来ます。私は虹というと現世を超えて行く「彼方」というイメージを持っていて、3次元のこの世を超え高次元へと向かう道のような感じでいつも捉えています。最近はどういう訳かその「彼方」が気になるのです。
この3次元の現世では精神的な関りよりも物理的な関わりが大半を占め、人と人、人と自然、国と国、人種と人種など、何処までも肉体的な範疇の中にあるように感じています。そしてそれらの社会環境の秩序を保つ為には法律を作り、ルールや常識という因習の中で生きているのですが、私はどうも天邪鬼な性格なせいか、そんな枠を飛び超えたくなってしまいます。まあ芸術系の方は程度の差こそあれ、同じような想いを持っているのではないでしょうか。これ迄芸術を創り出して行った方々は、皆さんある種アナーキストでもあるのかもしれませんね。
私はその風土や地域が創り出した音楽に大変興味があり、そこを土台に自分なりの作品を創っているのですが、この風土に生きる人々の音楽であるだけに、現世での楽しみにあまりに特化してしてしまうと、ちょっと興味が薄れてしまいます。例えばお祭りなどは今や観光イベントになり果て、また各地の民謡もすでにその意味を失って、民謡に家元制度が出来ているような現状を見ると、興味がそがれてしまいます。
以前お逢いした歌謡界の大御所の方は、音楽は常に民衆に寄り添っていなければいけない、現代音楽なんかは認めないという方でしたが、先輩などにもやたらと美空ひばりやビートルズを崇拝して、大衆と共にないものは音楽を解ってないと切り捨てる人を沢山見て来ました。私はそういう面しか認めない狭い視野が現代日本の行き詰ったまった世の中を創り出しているのではないかと感じます。人間の人間らしい欲求、俗的な欲求を肯定し賛美するのは良いと思いますが、現世の喜怒哀楽の部分だけをみて、その先のもっと大きな世界を見ようとしない感性は、ただの人間のおごりとしか思えませんね。
孔子も「国を変えるのなら樂を変えよ」と言ったそうですが、音律が宇宙の物理の成り立ちを表し、音律を収める者が世を支配する必須条件だと言われた古代の中国の音楽はもしかすると3次元を超える力を有していると考えられていたのかもしれません。それはきっと天や神といった、大いなるものへと繋がる道だったのだと思います。19世紀から20世紀のヨーロッパの芸術家も盛んに4次元という事を言って活動していましたが、きっと現世を超えた世界を目指していたのかもしれませんね。 例えばポリフォニーという何重にも重なり合う旋律の美をもっているバッハの音楽や、現代音楽、雅楽などは3次元の中に閉じ込められている現世から飛び出して行く、4次元の世界を思考しているのではないかと感じるのです。ショウビジネスなんかが出て来る前、まだ音楽が祈りや叫びの要素で満たされていた時代、音楽は高次元へと繋がるひとつの手段だったような気がします。現在ではバッハの音楽もグレゴリアンチャントも、声明さえもエンタテイメントとして聞いて楽しんでいますが、そういう現代のショウビジネス的なリスナーの意見は別として、音楽そのものに次元上昇するかのような要素を感じるものには惹かれてしまいます。
俗世間しか見ようとせずそれが音楽だというのは、自分以外のものを認めようとしない狭量の排他主義のように思えます。私は神も仏も判らぬ身ではありますが、現世の先に在る大いなるものを感じることなく生きるのは、人間という枠の中に閉じ込められているようで、あまりにつまらないような気がします。私は3次元のこの現世を飛び越えて行くような音楽を創りたいですね。
その次元上昇への道が虹のイメージと重なるのです。私の曲で虹をテーマとしたものは「虹の唄」と「彼方へ」位なのですが、これから増えて行くかもしれないですね。






