自分時間 

毎年の事ですが、これだけ暑いと昼間は出かけられませんね。私が住んでいるマンションは一階にスーパーマーケットが入っている事もあり、ほとんどここを離れずに生活が出来るので、毎日家に籠って譜面を見直して、今取り掛かっている曲の譜面を書いたり消したりしながらのんびり過ごしています。

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5月の琵琶樂人倶楽部にて 笛の大浦典子さんと


以前もクロノス(物理的な時間)とカイロス(主観的な時間)について書いたことがあると思いますが、私は年齢を重ねるごとにカイロス時間に生活が移行しているようです。特にこの数年コロナ自粛をきっかけにその加速度が増しています。ある時期迄はいつまでに何をやって、来年にはこんなことをやって、という具合に未来ノートをいつも脇に置いて計画を立て、それもちょっと無理に追い込むような感じで一つ一つ実現するようなことをやっていました。だからこそ多くの曲を創り、毎月のようにツアーにも出て、アルバムも11枚まで発表出来たのだと思っています。しかし今は何日ぶらぶらと散歩していても焦りというものが無いのです。昔からこういう傾向はありましたが、発想が浮んで来る迄は、のんびりと構えて、湧き出る時に一気に具現化するというスタイルがこのところ顕著になって来ました。

昨年作曲したメゾソプラノと能管と琵琶による「Voices~小島力の詩による」等は、安田登先生と広島でレクチャー公演に行っている時、空き時間の間に書き上げました。頭の中にはずっと構想が巡っていたのですが、大きな商業施設の2階の広々した踊り場スペースでコーヒーを飲んでいる時に、そこのテーブルでほとんど書き上げました。発想が湧く時には突然怒涛の如く流れ出るのです。不思議なもんですね。新幹線の中で創った曲もあります。だから五線紙と琵琶用の四線紙の携帯は必須なのです。

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北鎌倉の其中窯にて photo 川瀬美香


元々私は毎日繰り返して練習するような事はしませんし、演奏の度に正確に弾くなんて事も全く頭にありません。その時々での変化こそ命というスタイルで、完ぺきを目指して緻密に物事に相対する性格ではありません。私はいつも「何とかなる」と言うのが口癖なようで、以前もよく後輩に「出た出た、塩高さんの『何とかなる』」なんて言われてました。大体に於いて物事に対し大雑把なんでしょうね。

しかし自分でも面白いと思うのは、こういう大雑把な人間が、自分の身の廻りや身に着けるものに対しては、嬉々としてまめに手入れをする一面もあるのです。琵琶は当たり前ではあるのですが、それでも私程、毎日毎日年がら年中いじっている琵琶奏者は他には居ないと思います。

日常の事で言うと、例えば洋服は特にこだわりが無く、近くの古着屋で毎度同じようなものを買っているだけなのですが、靴は行動に直接支障をきたすせいか、合うものを厳選して、手入れもよくしますし、総ての靴に靴型を入れて下駄箱にしまってます。靴修理のお店にもよく行きますね。
腕時計は現代では持っている人も少なくなっていますが、私のようなアナログ派にとっては、スマホなんか無くても、時計があれば日々の活動に充分ですので必ず身に付けています。クォーツは電池切れで突然止まるのが困るのと、そういう無機質な所が嫌なので使いません。一日数十秒狂っても機械式しか使いません。

oriennto WT1 (2)左の時計は、私が琵琶に転向した頃、つまり30年程前に、とある方から頂いたもの。オリエント社のワールドタイム時計ですが、今手に取ると「世界に飛び出て行くような琵琶奏者になるぞ」という若き日の熱い意気込みが甦りますね。青春(随分遅い)の想い出というやつです。何度か修理に出しながら、ベルトも金属ベルトから革ベルトに替えて今でもよく使っています。その他主に使うものに関しては何年かに一度分解掃除の為に時計屋さんに持って行って総合メンテをお願いしています。琵琶と同じです。

クロノス時間がどんどん無くなってきている私にはもはや時計も要らないのではないかと思うのですが、こういうアンティークな手巻や自動巻きの時計はいわば相棒なんでしょうね。腕に付けていないとどうにも落ち着きません。まあ世間に流れる時間ではなく、どんどんと自分だけの時間の中で生きるようになって来ているという事でしょうか。若い頃からそういう傾向が人より強い方ではありましたが、この所更に顕著になっています。

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左から塩高モデル大型1号機・2号機中型2号機、中型分解式 全て象牙レス仕様


それに私は何事に於いてもアンチブランド派で、世の価値観には迎合しないのが子供の頃からの一貫した天邪鬼な私のスタイルですので、楽器でも何でもスタンダードなものは私の周りにはありません。ギブソンやフェンダーを欲しがる気持ちは私には判らないですね。一時手にした事もありますが、それを持っていると、それらに寄りかかっている自分の姿を感じて、何とも情けない想いがずっと付きまとい、嫌気がさしてしまいます。「媚びない、群れない、寄りかからない」の精神は昔から一貫していたようです。

琵琶も総桑が最高だと信じている人にとっては、私の琵琶など何の価値もないでしょうね。しかしこの塩高モデルでないとあの音は出せません。私が出している音は私の一番のお気に入りの音であり、これらの塩高モデルは世界最高峰の琵琶だと自負しています。だからメンテナンスも欠かさないのです。

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photo 新藤義久

私はほとんどの物事に於いて他の人の事は気にならないし、比較もしない。自分の時間を生き、自分の価値観を最優先して生きるスタイルを元々持っている上に、年齢と共にさらにそんな独自のスタイルが加速度を増しているという訳です。まあこれで何とかこれ迄生きて来れたのですから、いいじゃないかと思ってますが、もう世の中にはAiが蔓延り、監視社会が蔓延して、私のような者はそう遠くない将来、この社会の中で生きて行く事は出来なくなるかもしれませんね。
私はろくにエクセルも開いたことも無い程にPCもスマホも大して使えず、車の運転も出来ないという有様で、このAi時代においては社会的落伍者かもしれません。世の中からは結構浮いている事と思いますし、デジタルの刻むクロノス時間からどんどん離れて行く生き方では、もうこの社会の中ではいくらも持たないかもしれませんね。20代の頃から自給自足の暮らしに憧れているような人間でしたので、この辺でそろそろ山に入る準備もしておかないといけませんな。

まあその分、より私らしくなって本来の自分に近くなっているという事でしょうか。とにかくこれからも納得出来る作品を創り続け。演奏して行きますよ。今年はちょっと難しそうですが、来年には次のアルバムもリリース予定です。

今日も暑い。そしてビールが旨い。

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