今年もまた3・11がやって来ました。近頃は東京でも地震が来ると騒がれていますが、世の中全体が何とも不穏な時代になりましたね。今年は毎年和久内明先生が主催している追悼の会ではなく、長谷川美鈴さん主催の「和の響」の方で演奏してまいりました。この日は未だに避けては通れないものがあります。もう東北でも子供たちに震災の事を教えていないという報道も先日ありましたが、単に震災というだけでなく、大事な記憶として今後の日本社会の為にも伝えて行くべきものではないかと年々感じています。
3.11の前には、ブログでお知らせしていたサローネフォンタナにてTeam NOSARUの公演もやって来ましたが、両方共、幸いな事に花粉症の症状が収まっていたので声も出ましたし、共に初めての場所でしたが、どちらも響きがとても良く、気持ち良く演奏する事が出来ました。
先ずサローネ・フォンタナでは、拙作「まろばし」に能楽師の津村禮次郎先生が舞で入り、同じく「花の行方」にはソプラノの廣瀬かおりさんが素晴らしい声で参加してくれましたので、雰囲気も新たにぐっと引き締まり、気持ち良かったですね。やはり音楽は生ものだと実感しました。
そして11日の「和の響」日庭寺では、笛の長谷川美鈴さんとのデュオに加え、会のコーディネートをしてくれた笛師の志村薫さんのアイデアで、「件の森」という明治の三陸地震を題材とした朗読作品を上演。なかなかに好評でした。
会場はお寺と言ってもかなりモダンなつくりの所で、響きもよく、気持ちが良かったです。普段から仏画や俳句、精進料理の教室等を開催して、様々に活動しているお寺さんです。
また帰りには上記の笛師 志村さんの工房に寄って音楽談義をしてきました。津久井湖のすぐ近くにあるその工房は広さもたっぷりあり、自然の中で自由にお仕事されている様子が本当に素晴らしかったです。私もこういう所を拠点として活動して行けたらいなと心底思いました。
これから日本にも世界にも様々な事が起きて行くと思いますが、私は今年も昨年に続きアルバムを出したいと思っています。資金やスケジュールなど考えるべきところも沢山ありますので断言は出来ないのですが、出来れば年内には12枚目となるアルバムを完成させたいです。出来る限り多くの作品を発表して行きたいのです。現在次のアルバムに収録できそうな曲もだんだん構想が具体化してきました。そしてもう一つ、前衛的で静寂感のある作品を書きあげたらレコーディングに突入という感じです。
昨年、画家の山内若菜さんが演奏中の姿をスケッチしてくれたもの
春はこんな風に色んな構想がどんどんと湧き上がって来ます。その分いつもあちらこちらへと身体も心も彷徨うのです。震災の事も思い出しますし、これからの活動の事や、生活の事等々多方面に気が行って、同時に色んな事を頭に描いてふらりふらりと彷徨ってしまいます。
曲も、書きあげた譜面を見直しては書き直し、結局没にしてみたり、延々とそんなことを繰り返しています。効率はすこぶる悪いのですが、こうした逡巡をして、無駄とも言えるような時間を経てこそ、何かが生まれてくると思っています。よく周りからは、毎日何をぶらぶらしているんだと言われるのですが、これでもお仕事しているんです!!。まあ途中散歩に行ったり、コーヒー飲んだり(時にビールも)昼寝をしたりしながらやっているので、世間ではこういうのをゴロゴロ・ブラブラしてると言うのかもしれませんが、幸せな事です。
こういう時間は若い頃は持てませんでした。時間が無いというより、一見無駄とも言えるような、非生産的な事をしていると、何だかさぼっているようで、取り残されてしまうんじゃないかなという強迫観念が強かったからです。この年になると、作品はこういう中から生まれてくると判っているので、許される限りのんびりと構えています。
毎日稽古して積み上げた先だけを見ているようでは、実は何も生み出せず創れません。物事の延長線上で発想するのではなく、予定調和ではないゼロからの発想こそが、ものを、時代を創り出し、変革しリードして行くのです。そのためには今迄と同じ発想や行動をしていては、次が見えません。優等生的感性では、レールの延長線上のものしか出て来ないのです。そんな発想、思考しか出来ないと、激動する時代にあっという間に取り残されてしまいます。
次代を創るのは常にアウトローです。それがまた正統になり、そしてまたそれに対するアウトローが次の時代を創って行く。私が古典から学んだことは、こういう事なのです。古典を読んで和歌や歴史に詳しくなって、教養豊かな趣味人になるよりも、古典に接する事で、どうやって時代が変わて行ったのか、そういうもののダイナミックな歴史の流れを知る事こそ古典の魅力だと思います。それまでにない発想をする人が、今日本には求められているのではないでしょうか。私も常に「創る」人でありたいと思っています。
今は外に出ると梅花はもう盛りを迎えていて、その次に桃やコブシ、ハクモクレン、ハナスオウが今か今かと待ち構えるようにスタンバイしていますね。今年は少し早い感じがします。そして桜の本番になれば正に花々の饗宴。陽射しがぐんと増して、キラキラと生命が溢れるような光景は何とも心が躍ります。毎年この時期は鼻をぐしゅぐしゅさせながら、近くの善福寺緑地に散歩に行っているのですが、花々のそんな姿を観ていると、頭の中に蠢くもやもやした想いや願望、妄想も皆ポジティブな方向に向かって行くようです。春は物事が動き出す季節。世の中が動き出すと出逢いも増えて、仕事も人生も先へ先へと進んで行きます。こういう時期にあの震災があったかと思うと、何とも言えない気持ちが今でも込み上げるのですが、これからが希望の見出せる時代になって行く事を願うばかりです。