涼しくなって大分調子が出て来ました。秋の演奏会では9月10月11月とそれぞれ新作を上演するのですが、その譜面書きも大分進んできましたし、来月の特別講座のレジュメネタになる資料もぼちぼち整理し出しました。
物事が動き出すのはとても嬉しい反面、ここ数年は都会の息苦しさも感じていて、時間があると、ふらふらと関東近辺に色々と出かけています。やはり都会は人が多過ぎてストレスを感じる事が多いですね。以前は新宿の混沌としたアンダーグランド的な雰囲気は結構好きだったのですが、近頃はそんな雑踏にあまり行きたいと思わなくなりました。
先日は栃木県の古河市で演奏会があったのですが、とてもゆったりしていて、文学の街・古河らしく文化的な雰囲気もあって気持ち良かったです。演奏も繊細な表現からダイナミックな所までしっかり聴かせることが出来ました。
都会の中では良くも悪くも刺激がとても多いので、確かにほとばしるようなエネルギーが湧いてきます。これは芸術活動において大事な部分です。しかしほとばしるエネルギーだけでは作品は生み出せません。少なくとも深みのあるものは創れませんね。もっと静寂が必要です。静寂の中にこそ、生命の源となるエネルギーが満ちているものです。表面のバタバタとした見た目パワフルなものでなく、じっと揺るぎない静かな状態にこそ、それは満ちています。この静かなるエネルギーがあるからこそ、作品が熟成・洗練するのです。だからものを創り出すには、肉体にも精神にも静寂を感じられる環境が必要なのです。
都会に居るとイベント的なものは数多くあるし、気軽で楽しいライブもあって日々楽しく面白い。そんな中からも色々と出てくる可能性は沢山あるのですが、そこに留まっているだけではただ流され、消費されるだけ。ポップカルチャーなどはそんな所から出てくるのでしょうが、私はそういうものは求めていません。人間の作り出したちまちまとした目の前の刺激しかないような街ではなく、もっと静寂と生命に溢れた自然の中に身を置きたいのです。
都会に身を置いていると、自分でも気が付かない内に波騒に引きこまれてしまう事も多いので、自然と自己防衛してしまいますね。これは芸術の自由な精神の発露という点では、何か自分を規制してしまっているようで良い事ではないのですが、現代の都会の異常な過密ぶりと、人間の俗な情念が渦巻き氾濫する中では致し方ないですね。
こんなことを感じるこの頃ですが、新作も今一進まなかったので、気分転換という事で、少し前に大磯に行ってきました。私は海を身近に感じて育ったせいか、時々無性に海に行ってみたくなるのです。
大磯は東京から近く、もう随分昔には大磯のライブハウスでも演奏したこともありますし、海も山もある大磯を一度のんびり歩きまわってみたいなと思っていました。
そして大磯には「湘南アートベース」という美術系のアトリエを運営している画家のAさんが居るので、一度是非伺ってみたいなと思っていました。二宮から小田原辺りには美術系の知り合いが沢山住んでいて、これまでも何かと行き来がありましたし、Aさんからは定期的にニュースレターが送られてくるので、もう10年も会っていないのに、疎遠な感じがしないんです。それに早い内に都会から離れ、こういう所で自分のペースを創り上げ活動を展開している彼にはどこか憧れをずっと持っていて、いつか訪ねてみたいなと思っていました。今回は彼の所へ行くのが目的ではなかったのですが、大磯に降りてみたら、やっぱり行きたいなと思い立ち、全く連絡もせずに行ってみました。玄関には「どうぞ」と書いてあるし、まあいいだろうとドアを開けて声をかけたら、果してAさんが出て来てくれました。突然伺ったにも拘らず、しっかり上がり込んでしまい、珈琲も頂いて楽しい時間を頂きました。
芸術を人生としている方と話をするのは、本当に楽しいし、様々な気づきもあるもので、良いアイデアを沢山頂きました。久しぶりのひと時でした。帰りにはすぐ近くの湘南平まで車で送ってもらって、その雄大な景色と風をたっぷりと我が身に感じました。
どこまでも続く空、海、どれもが都会では感じる事の出来ないものでした。かつてはこの中にずっと住んでいたはずなのに、いつしかそれを忘れていたのです。風に身を任せていると、この海と空こそ私が帰るべき場所なんじゃないかと思えてきましたね。正に浄化された気分でした。
活動する事が目的の方なら都会は良い場所だと思いますが、創造する事を目的とするには都会は余計な物が多すぎる。東京での拠点は欲しい所ですが、普段は静かな環境に身を置いておきたいですね。
私は演奏もさることながら、とにかく作品を沢山創りたいのです。これだけの魅力ある音色を持った琵琶の作品を創る事は、私に与えられた使命かもしれない、と勝手に思い込みながら、気持ちも新たに今日も譜面に向かいますよ。