新緑の勢いが凄いですね。この時期の緑は命が旺盛に動き出しているようで、実に気持ちが良いです。コロナ自粛は相変わらずですが、気持ちも上向いて来ますね。
今月は人形町楽琵会の復活ならず、大変残念ではありましたが、何やら色んな事が動き出してきました。
最近どういう訳か、琵琶を習いたいという人が相次いで現れてます。教室の看板も出してない私の所に来るのだから不思議なもんです。なんか琵琶ブームでも起きているんでしょうか。私が良き教師であるかどうかは別として、何かのきっかけを与えれあげられるのであれば、それだけでも良いかなと思っています。その為に、只今稽古用の琵琶や撥など、色々とかき集めている最中です。また夏に向けての公演の話や、お仕事の話なども来ていて、ちょっと低迷しかけた日々に活気が出て来ました。
私が琵琶で活動を始めた頃、よく「人間力」ということを言われました。最後には人間力がものをいうなんて言われることが多かったですね。今この年になってみると、確かにそうだなと思います。「人間力」は言い換えれば、包容力だと私は思っています。
人間には防衛本能があるので、異質なものを排除したいという気持ちは常にあるものですが、それを小さな範囲でやっていると、どんどんと世の中から浮き上がって孤立してしまいます。これまで共生という事を言われてきていましたが、コロナをきっかけに、排他主義が表面化して攻撃に向かうという姿が、今、世界中に溢れています。自分とまるで違うレイヤーに生きている人や、違う考え方・感性を持っている人に対し、先ずは話を聞いてみようという姿勢で相対する、その力量を「人間力」というのではないかと思ってます。
以前ドミニク・チェンさんの「ぬかBOT」の事を書きましたが、美味しいぬか漬けが出来上がるには、その床の菌ネットワークがどのように発酵し、つながって行くかにかかっています。ドミニクさんはウエルビューイングに関する講演を色々としており、そこでぬか床の話も出てきて、生来のお新香ッ食いの私としては、大いに納得した次第ですが、菌のネットワーク同様、社会に生きる人間も、良好なネットワークで繋がり、時代にあった発酵をして行かないと、ウエルビューイングは実現しません。よく言われるフィルターバブル・エコーチェンバー現象のようなネットワークでは、同じような思考、視点のものしか集まらず、オタクの集団のようになって、発酵を通り越して腐敗につながってしまいます。歴史的に見ても、他の血を拒んだ一族が続いた例はないのです。異質ともいえるような様々なものがつながってこそ、ネットワークは豊かに発酵して行くのです。
現代では、自分にとって気持ち良い事をしよう!なんて言っている人が多いですが、快楽をもたらしてくれるものを優先するあまり、自分を取り巻く環境や社会に目をつむって、かえって生活や人生が狭くなってしまったのが現代社会の姿ではないでしょうか。何も辛いことを率先してやる必要はありませんが、普段から常に美味しい物、面白いものを追いかけるように仕向けられ、挙句の果てに添加物まみれのファストフードやコンビにのスウィーツが旨いと言ってSNSで盛り上がっている。目の前の快楽を追い求める裏側で、どれだけ自分の味覚が破壊され、身体が蝕まれ、物やお金、作られた流行に洗脳され、消費社会の歯車として振り回され、環境、感性のネットワークが荒んでいるか・・。目の前の快楽を只管追いかけるだけのエンタテイメントに、24時間浸かり続けていたらそりゃおかしくなります。
もう50年以上も前にレイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書いて文明社会の在り方に警鐘を鳴らして来たのに、人類は目の前の快楽に溺れ、自らの命、更には地球の命までを絶とうとしている。資本主義、ショウビジネスのツケが今来ているのです。
だからこそ今、このコロナ問題は人類にとって良いきっかけを作るかもしれません。もう一度人間の生きる道筋を考え、ウエルビューイングの高いネットワークを作り直すのは、正に今なのかもしれません。
素晴らしいネットワークを持っている方々と逢う度に、その受け入れる姿勢の幅の広さ、懐の広さというものを感じます。ただ顔が広いとか人脈があるという事ではありません。時代と共に感性が変わって行くのと同じで、人とのつながり方も、その発酵の仕方も、その在り方も変化して行くのは当たり前です。ジェンダーや人種、国籍、年功序列など、今迄根拠の無い因習の中に囚われていた部分が炙り出され、次代の新たなネットワークが今築かれようとしています。そして同時に自分を取り巻くものをどう受け入れて行けるのか、問われているようにも思います。
日本橋有富沢町楽琵会にて Vnの田澤明子先生と Photo 新藤義久
少なくとも音楽は人を繋げ、異質なもの同志でも旺盛にコラボレーションし、豊かな発酵をして行く力があるのですから、広い心を持って行きたいですね。拙作「二つの月~ヴァイオリンと琵琶の為の」でテーマにしたのは9,11の事件ですが、異質なもの同志のぶつかり合いである、あの事件をテーマとしたものが音楽となり、その音楽を聴いて、リスナーの感性が次世代へと開いて行くのでしたら、作曲家・演奏家冥利に尽きますね。豊かな音楽を創って行きたいものです。