夏の午睡の戯言にて

バリ舞踊祭り

急な暑さで、体が追いつきませんね。この暑さの中、我が町はただ今七夕祭りの最中でして、更に土日は地元の神社で、恒例のバリ舞踊祭があります。という訳で町が盛り上がっている最中なのです。
この盛り上がりと共に、私の周りでは昼ビールの誘惑が多々ありまして、先輩・友人方々としっかりグラスを重ねている次第です。このところ特に演奏会も控えてないので、気持ちも軽くリラックスして話も弾みます。普段はどうしても週に1,2度は少なくとも演奏がありますので、気分がどこか臨戦態勢のようになっているのでしょう。たまに気分をリセットすると、本人自身だけでなく周りとも良いコミュニケーションが取れるようになりますね。
世の波騒は常の事ではありますが、後に残るようなネガティブなことは、私にはあまりありません。まあ鈍感、厚顔無恥とも言えますが、プレーンな状態で日々居られるというのはありがたいことです。演奏会が続くと、気が付かないうちに顔つきも険しくなってしまいますので、やはり適度なリセットが必要ですね。

五韻会2019

そして先月の終わりには、こちらも夏の恒例 長唄「五韻会」を聴きに行ってきました。もう毎年の夏の楽しみになっています。ちょうど琵琶樂人倶楽部が発足した年(2007年)に、福原百七さんの招きで五韻会演奏会に出演したことがあるのですが、それ以来毎年百七さんから案内を頂いて聴かせてもらてます。良い時間を頂きました。

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トルクメニスタン マフトゥムクリ劇場にて

私は「身一つで生きる」というのが信条でして、なるべく物を持たないようにしています。車も運転しないし、TVもなければ近頃のデジタル系ガジェットともほとんど無縁です。部屋の中もすっきり。私の家に来た人には「ここはお稽古場ですか」としょっちゅう言われます。余計なものがあると落ち着かないのです。このPCが現代とつながっている唯一のものかもしれません。メールも自宅のPCでないと受け取れないという有様ですが、特に不自由もありません。
若い頃は色んなものを、わざわざローンを組んでまで買っていましたが、今思えば、それも良い経験だったとしか思えません。現代人は物を持ちすぎる。私はここ30年程ずっとそう思って来ました。

四六時中スマホにかじりついている現代人の姿は、どう見ても病的な中毒状態でしょう。今はデジタルテクノロジーや物が在ることが生きる基本、基板のようになって、それらがなければ生活が成り立たないように思われがちですが、それは大いなる幻想に過ぎません。きっと心ある人なら誰もが頭では判っている事ではないでしょうか・・。常にものに依存しなければ生きて行けない人生なぞ、私は絶対にお断りです。

山頭火

秘かな憧れ 山頭火

人間はどんな時代でも、テクノロジーと共に生きて来ました。古代には船で外国に行き、鉄を発見し武器を作り戦争を繰り返し、中世には行燈に使う油が普及したおかげで、夜の時間が文化を育みました。確かに車も、電車も郵便も電話もあってこその現代の暮らしですし、そこから文化も生まれて行きますが、今は必要以上に物が世に溢れて、人間が物に振り回されていると感じるのは私だけではないと思います。

人はままならない事を解消するためにあれこれと考えて物を生み出すのですが、対人間は勿論の事、スマホも車も、自分で使いこなしていると思い込んでいるだけで、実はしっかり操られている事が多いのではないでしょうか。
以前鹿児島の熊襲の洞穴に行った時、「もので栄えて、心で滅ぶ」という立看板を見ましたが、昨今起こっている事件を見ていても、まさにそんな時代になったしまっているように思います。
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広尾 東江寺にて

私にとって琵琶は分身のようなものですが、琵琶がないと何も出来ないという音楽家には成りたくないのです。まずは自分の中に湧き上がる音楽があり、それが琵琶によって豊かに響き渡ると思っています。どんなに素晴らしい琵琶でも、それを自分が鳴らさなければ意味はありません。確かに私の琵琶は特別仕様なせいか、弾くだけで何かに導かれるように音楽が沸いて来る事もしばしばありますが、それはまた次元の違う話。たとえパートナーといえども寄りかかって依存していては、何も成就せず、自分の人生は全う出来ないのです。だからこそ、いつも書いているように分身、相方である琵琶に対しては、自分と同じようにリスペクトをして、手入れは常に完璧にしているのです。

時代はどんどんと進んでゆくものですが、音楽の本質は何も変わらないと思っています。きっと人間の営みも、根本のところでは大して変わっていないのだと思いますが、如何でしょうか。しかし人間は表面の形に惑わされ、その時々の出来事や流行に目が行って、いつの時代も右往左往してしまう。
「観の目強く、見の目弱く」とは宮本武蔵の言葉ですが、時代をするどく捉え、射貫く目がなくては、波の上に浮かんで流れに身を任せているようなもの。時代とコミットするのはとても大切なことですし、周りの多くのものと関わりながらも、ただ流されていては、自分の人生は生きられません。

私は自分の思うところを、自分のペースでこれからも生きて行きたいのです。
この夏もゆったりと過ごして、良い作品を創りますよ。

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