移りゆく時代(とき)2019春

暖かくなりましたね。しかし今年は花粉がかなりの猛威を振るっているようで、私もこのところ毎日のようにグシュグシュやってます。こういう時期は家に引きこもって、琵琶を弾き倒し、譜面を書き直ししているのですが、今年はちょっと今までにないものを創っています。「四季を寿ぐ歌」という~まあ組曲とでも言えばよいでしょうか~作品です。

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津村禮次郎先生と 日本橋富沢町樂琵会にて

実は昨年、津村先生と東洋大学にて「方丈記」を上演したのですが、そのとき、脚本からコーディネートまでを原田香織教授に担当していただきました。原田先生は中世文学の専門なので、能はもちろん、和歌や平家物語など、色々と話も盛り上がり、以来何かとお世話になっています。方丈記公演の後、近代の薩摩琵琶唄についても話が弾みまして、その時私が「切った張ったの戦の話でなく、もっと四季の風情を歌ったり、ラブソングだったり、今に生きる人達がそのまま共感できるような曲が創りたい」となどと、何時も思っていることを話したところ、原田先生が「そういうことなら私が歌詞を書きましょう」と言ってくれまして、昨年末より少しづつ書いていただいています。

今のところ、2曲ほど完成しました。楽器構成は、樂琵琶・笛(龍笛・能管・篠笛)、笙、歌(メゾソプラノ・語り)。雅楽をベースにしていますが、雅楽に囚われずに創っています。かなり時間はかかるかと思いますが、こういう作品に取り組んでいることもあり、気分も今までとは随分と変って来ています。何か新たな活動が展開して行きそうでわくわくしますね。

10sヴァイオリンの田澤明子先生と、日本橋富沢町樂琵会にて
昨年8thCD「沙羅双樹Ⅲ」をリリースしてから、だんだんと自分の中に区切りがついてきて、特にここ一年はかなり器楽に特化する事が出来ました。独奏は勿論の事、樂琵琶も以前にも増して活発に演奏するようになりましたし、ヴァイオリンやフルートなどの洋楽器との共演も重ね、これまでの作品に新らたな命が灯ったような充実感を得て、手ごたえを実感しています。
私は琵琶を手にした最初から「器楽としての琵琶楽」がテーマで、1stCDも全曲私が作曲したインストルメンタル作品でした。それ以来ベスト盤を入れると10枚のアルバムを発表していますが、その全てが私の作曲作品ですので、いわゆる弾き語りの琵琶奏者とは随分違うアプローチをしていると思います。

舞や演劇、その他どんな仕事でも、作曲家の初演でない限り、全ての曲は私が作曲した作品を弾いているので、琵琶奏者としてはかなり特殊な例だと思いますが、これ迄こうしてやって来れたことに、やればやるほど感謝の気持ちが増して行きますね。そしてこれが自分のやり方なのだ、という思いも強くなってきます。私は基本的にプレイヤーという感じではないのでしょうね。まあビートルズでもマイルスでも、ロックやジャズのミュージシャンは皆さん自分達で曲を創っていますので、そういうものを聴いて育った私としては当たり前のやり方なんですが・・・。

150918-s_塩高氏ソロ
岡田美術館 尾形光琳菊図屏風の前にて

勿論弾き語りでもずっとお仕事をさせて頂いて来て、これ迄声に関しても、それなりに自分なりに研究をしてきましたが、「沙羅双樹Ⅲ」に「壇の浦」を収録したことで、弾き語りに関してはもう一区切りついて、本来自分が追求すべき「器楽としての琵琶楽」にやっと足も身体も心も向いてきたという訳です。

これまで琵琶語りをやってきた事は決して無駄ではないし、ある意味私に大きな自信をもたらしてくれました。しかし私は器楽としての琵琶の作品を創る為に琵琶を手にしたのですから、帰るべき所に帰るのが良いのです。自分に一番素直な状態で居るのがやはり正解です。以前は妙な意地を張っていて、自分の気持ちに、自分でも知らない内に振り回されていたといえるでしょう。そんな余計な所がここ数年ですっかり取れました。
これ迄随分と沢山の作品を創って来ましたが、やっとこれまでの「器楽としての琵琶楽」の作品群がしっかり自分のレパートリーになってきたと実感しています。

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photo 新藤義久
今は作曲作品だけでなく、活動の内容ややり方も大きく変って行く時期に来ているのかもしれません。琵琶でプロの演奏家として活動を始めてもう20年ですから、そろそろ自分独自のスタイルがしっかりと出来上がって当然ですね。外側から見た私はどうか判りませんが、自分の中ではようやく、浮ついたものがすとんと落ちて落ち着いて来ました。
自分では判らずに活動は少しづつ少しづつ変化して行きます。まるで何かに手繰り寄せられるように、その方向を変え、視野が広がり世界が充実して行きます。基本的な筋や軸のようなものは変らないのですが、活動を展開していると、自分でも思ってもみない世界に触れる事が多く、それらの経験が自分の次に歩む道をはっきりと照らしてくれます。
社会と共にあるのが芸術ということを考えれば、一見関係無いようなものでも、この世に同じく存在する事は、何かの繋がりが見出せるものです。
こうして移り行くのも「はからい」というものでしょうか。
これからも充実の作品を創り、活動を展開して行きたいですね。

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