記憶の中の音色

yoshino-ume5今は無き吉野梅郷の梅
春は毎年身体に変調をきたす季節でもあり、仕事も少ないこともあって、家の中で琵琶の手入れや楽譜の見直しなどしながら過ごすことが多いのです。そんな感じでのんびりしているせいか、最近やたらと若き日に聞いていた曲が聴きたくなるのです。ジャンルは全く関係なく、その曲を聴いていた空気が無性に懐かしくなってくるのです。過去が甦ってくるような、何とも懐かしいような不思議な感覚に包まれます。

あの頃に瞬間で飛ぶのは、なんといってもジェフ・ベックの「Blow By Blow」と「Wird」。これはもう別格で、私の人生はこれに始まるという位、即効で10代半ばの、あの頃に飛んでしまいます。色んなジャンルを普段から聴いていますが、これだけは変わらないですね。

まあこれはこの二枚のレコードは例外として、最近は何故か懐かしい音楽を聴きたくなるのです。リシェンヌ・ボワイエの「聞かせてよ愛の言葉を」を聞くと、昔関わった舞台を思い出しますし、マーラーの5番の「アダージェット」は映画「ベニスに死す」の印象が強烈です。初めて「牧神の午後への前奏曲」を聴いた時のあの驚きは未だに忘れられないですね。
ジャズでしたらジョージベンソンの「Affirmation」、ウェス・モンゴメリの「フルハウス」、コルトレーンの「India」やマイルスの一連の作品等々鮮やかなまでに、青春時代(?)が目の前に広がります。まあそれだけ年を取ったということなんでしょうね。

 

8thCD「沙羅双樹Ⅲ」の送付や、ネット配信の手続きも一段落着いたので、この所、日がな一日中これらの曲に浸っています。どこか自分でも原点に戻りたいという気持ちが強くなっているのかもしれません。自分自身では内面があまり変化をしている風には思わないのですが、今回出した「沙羅双樹Ⅲ」も原点回帰のような内容だったし、折り返し地点にいるということなのかもしれませんね。

夢も相変わらず毎晩見ます。何ともシュールな内容なので説明は難しいですね。どれも不思議なストーリーのものばかりで、毎回登場人物が変わります。毎日一本映画を観ているようなものです。加えて現実でも二十歳の頃のジャズ研の仲間達とひょんなことから再会したり、30年も前に組んでいた仲間とまた組みだしたり、ふとあの頃の話が何度も出てきたりと、なんだか「甦り」の日々なのです。

S2人生にはそんな時期もあるのでしょう。たまにはノスタルジーに浸るのも良いものです。思えば、常に前へ前へと突っ走り、最先端であろうとする姿勢は、どこかに無理があるのかもしれません。それが自分の資質という事は重々判っているのですが、今は休息が必要な時期であり、自分の原点を見つめる時間に来ているということだと解釈しています。

それにしても今、何が自分を突き動かしているのか・・・・。どうしようもなく原点に戻りたいという衝動はどこから湧き上がってくるのでしょうか・・・・?。

音楽家というものは、仕事が無いとのんびりしている反面、収入のことが気にかかって落ちつかないし、忙しければ忙しいで「やりたい事が出来ない」と叫んでいる何とも手に負えない人種です。
私はそんな日々をもう30年以上続けてきました。安定収入のある方からすれば「いい年をして何時までやってんだ」と怒られそうですが、そんな人生を生きて早50代になってしまいました。
まあこれからも相変わらず生きてゆくのでしょうが、この原点回帰の機運から、何かが見えてくるのではないかと思っています。

私の原点は邦楽でもなければ、日本文化でもありません。確かに古典文学は中学生の頃からわりと好きでしたが、日本の古典音楽は全く聴いていませんでした。なんといっても私の音楽的原点は70年代のロックです。しかもショウビジネスの匂いのするものは全く興味がありませんでした。今考えれば裏側にショウビジネスの無いもの等ありえないことは判るのですが、純粋だったんですね・・・。その後ジャズに深~く傾倒して行くのですが、やはり甘いジャズヴォーカルなどはショウビジネスが付きまとっているようでどうにも受けつけない。私にとっては、常に挑戦的な姿勢で最先端を走っているマイルスやコルトレーンこそがジャズでした。まあロックとジャズは私の血と肉といえるでしょう。

とにかく私にとって音楽は音色が第一。楽器の音でも声でも良いのですがけっして歌ではないのです。今でも声そのものを聞かせる声楽は別にして、歌を主に聞かせる音楽がジャンル関係なくどうしても好きになれないのは、この頃の体験の為なんでしょうね。

rock20歳の頃、ジャズを弾かせてもらえるというので、ナイトクラブのバンドマンとなったのですが、実際はジャズもやるものの歌謡曲をけっこう弾かされて、心底歌謡曲を弾いて金を稼いでいる我が身を嘆き、仕事を止めてしまいました。まあ遅まきながらやっとこさ世の現実がようやく目の前に立ちはだかり、一つ大人になったともいえますね。それにしても本当に気付くのが人より遅い・・・。しかしまあそのお陰で琵琶へと歩みを進めることが出来たのですから、こういうことも一つの与えられた試練・運命だったのでしょうね。

今私は、いわば日本文化を追体験しているのです。よくよく自分自身を観てみれば、自分の中に日本文化がどれだけ深くしみこんでいたか、今になってみると良く判ります。小学生の頃やっていた剣道や、父がやっていた短歌や俳句も、しっかりと自分の中に根付いたことを感じますし、これまで多くの人に囲まれて生きてきて、自分が日本人というアイデンティティーを持っているということにも気づきました。自分は必然的にここに来たのだとも思いますし、また琵琶奏者として人生を歩んでいることを本当にありがたく思っています。

今回のCDを出したことで、薩摩琵琶、樂琵琶への関わり方が少しづつ変化してきたのを感じています。今年は演奏の形も変化して行くことでしょう。少し休息をしたら、また次のステップに進みます。

是非是非御贔屓に。

© 2025 Shiotaka Kazuyuki Official site – Office Orientaleyes – All Rights Reserved.