音の品格Ⅱ

秋を通り越して、冬が来てしまいましたね。私は暑いより寒い方が好きなんですが、ついつい夜になると熱燗に手が出てしまいます・・・・。

鶴見神社でのレクチャー演奏会は無事終わりました。とてもよい雰囲気で務める事ができて嬉しかったです。今回のレクチャーは、古事記を勉強する会の招きだったので樂琵琶中心のレクチャーでしたが、分解型の薩摩琵琶も事前に送って、両方の琵琶を聴いていただくことが出来、好評を頂きました。せっかくなら琵琶楽の多様な魅力を聞かせたいですからね。このスタイルは今後のレクチャーでも定番になって行きそうです。

2017リブロホールsさて今度の日曜日はフラメンコギターの日野先生と、Reflectionsコンビのジョイント演奏会がリブロホールであります。笛の大浦さんとのReflectionsコンビでは久しぶりの演奏です(チラシの写真は薩摩琵琶を持っておますが、この日は樂琵琶での演奏です)。このところお互い忙しく、他の公演ではご一緒することもあったのですが、このコンビでの公演はここ数年張れていませんでした。
今年は薩摩琵琶のCDを録音することもあり、薩摩琵琶での演奏が結構多かったのですが、これからはよいバランスで両方とも演奏して行きたいと思っています。
薩摩琵琶はまだ歴史が浅く、古典といえるような帰ってゆく所が無いのです。最先端を行くには良い楽器だと思うのですが、千年以上の歴史がり、豊かな魅力と多様な音楽に溢れている大きな琵琶楽の中で、まだ薩摩琵琶として流派というものが出来て100年ほどの歴史しかなく、その上原点となる物語が軍国ものや忠義の心ではどうにもならない。その点樂琵琶には雅楽という帰るべき港があり、琵琶楽全体の原点としてのシルクロードにも行くことが出来ます。やはり長い歴史を誇る琵琶楽に携わるには、最古典から現代までを網羅する為にも、樂琵琶と薩摩琵琶の両輪が私には必要です。どちらか一方ではとても私の幅には合わないのです。

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11月26日 場所:参宮橋リブロホール 19時開演です。是非是非お越し下さい。最後にはフラメンコギターと樂琵琶・笛によるコラボもやります。

イルホムまろばし10-s
ウズベキスタンタシュケントのイルホム劇場にて アルチョム・キム指揮のOMNIBUS ENSENBLEと「まろばし」演奏中

私は様々な形で演奏するのですが、これは他のジャンルの演奏家なら、よくやっていること。私自身は特に、自分の活動にヴァリエーションがあるとも思っていません。どんな形であっても基本的に自分が納得できているか、そしてそこに喜びがあるか。いつもその部分にこだわってやっています。
そして舞台には品格が欲しいです。偉そうという事でなく、演者である私の姿と音楽に品格が備わっているかどうかという事。随分昔先輩から「音の品格」という言葉を聞いて、それ以来ずっと私の中に「品格」ということが一つのテーマとなっていました。

DSC09921京都清流亭にて
私は若手などと呼ばれた頃から、とにかく所作をしっかりと身につけなさい!と散々言われ続けてきましたが、やっと今頃になってその意味が判ってきたのです。歩き方、撥さばき、視線などなど、そういう所作にこそ日本の文化が宿るということを感じ始めてから、文化そのものを体得してゆかないと、音に品格は出て来ないという気持ちが強くなりました。本来の意味での美しい所作は、そのまま品格のある音楽となって表れると思えて仕方がありません。
一流といわれる人の舞台は何よりも品格がありますね。別に大先生のように構えているということであありません。どんなスタイルであれ、質の高いレベルをもち、且つその人独自の個性が素直に出ていれば、その佇まいには落ちついた風情が表れます。そこに日本の文化が感じられるようでしたら、日本音楽をやる者としては最高ですね。

時々ご一緒させてもらっている能の津村禮次郎先生には、第一級の品格を感じますね。先生は経験や知性に裏打ちされた余裕の中に、揺るぎない自信と共に柔軟な感性がありますね。自然体でぶれない筋を感じます。ああいう姿になりたいものです。

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戯曲公演「良寛」福島安洞院にて

我が琵琶樂人倶楽部ではその口上に「文化としての琵琶楽」とうたっていますが、音楽を上手に演奏するのではなく、文化として捉えているかどうか。私の目指しているものは正にそこなのです。和服を着て表面だけ古風を気取ることではなく、洋服だろうが、最先端の前衛音楽だろうが、何をやってもそこに日本の風情と文化を持っているかどうかということです。逆に和楽器を持って、和服を着ていても、やっていることはポップスなんてのも多いですね。私にはそういうものが新しいとも思えないし、ショウビジネスに寄りかかった姿しか見えてこない。

12活動を続ければ続けるほどに問われるのは、器であり、質の高さです。上手さではない。お見事が見える内はお稽古事でしかないのです。
品格のある舞台には、その人でしか実現できない世界が満ち、他では成立し得ない独自の音楽が響いています。全てがその人そのものであるから、姿にも音楽にも無理が無く、自然体なのです。

お陰様で年を追うごとに、自分らしい活動が展開出来てきていると実感していますが、今後も更に私ならではの仕事をして行こうと思います。
音の品格を高めて行きたいですね。

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