ちょっとご無沙汰していました。特に忙しいという訳ではなかったのですが、何やら雑用に追われ、あいかわらず曲作りに頭を使っていたので、ブログまで頭と手が回りませんでした。お蔭でタイプの違う独奏曲が2曲出来ました。機会をみて披露して行きたいと思っています。
先日は春の嵐が来ましたが、過ぎてしまえばもう外はすっかり新緑の季節。樹木花々の旺盛な成長は、正に命の息吹。見ている此方も元気になりますね。今年は曲作りも進んで良い滑り出しです。

今年も色々と声をかけて頂いて、演奏会も充実してきているのですが、樂琵琶のCDを出したこともあって、年々仕事の質が変わって来ています。ちょうど10年前に樂琵琶と笛のReflectionsを発足させたのですが、その頃からより良い響きのする場所も選ぶようになりましたし、要求されるものも変わってきた気がします。こんな風にあれこれやっていれば、だんだんやり方も質も変わって行くのは当たり前ですね。
私の音楽にはやはり静寂が保てる場が必要です。社会全体がそうですが、今、音楽にも静寂が無いですね。私がポップス邦楽等にあまり良い事を書かないのは、静寂を感じないからです。ジャンル問わず一流の演奏家には「姿」があります。そしてそこには静寂を感じるものです。静寂感を保ち、静寂感を感じさせるのもプロとしての大きな条件だと思います。お上手にぱらぱら弾いているだけでは静寂は訪れない。格好だけ付けてもかえって「フリ」をしているのが見すかされてしまいます。心身ともに凛としたものを持ってこそ、静寂は身の上に現れるのではないでしょうか。
最近よく使っている近江楽堂は規模は小さいですが、静寂が保てるのです。静寂から湧き上がって来る音は、私にはなくてはならない部分だし、一音一音を丁寧に聴かせたいともう思うので、響きや雰囲気という事も含め、これからは益々演奏する場所を選んで行くようになると思います。
どんな場所でもそれなりに聴かせる事が出来るのがプロではありますが、何事に於いても選ぶ耳と目を持つのもまたプロというもの。一流になれば成る程に、こうしたこだわりが強くなるように思います。
それは上手という事を超えて、舞台を務めるという意識が強くなるからだと思います。だからより良く表現出来る場を選ばなくてはなりません。こういう所だから、という言い訳は通用しない。ハイクオリティーを実現するには、場所選びは必須なのです。そこまでやってやっと評価の対象となるのです。上手を目指している内はまだまだお稽古事のレベル。一般のリスナーに評価してもらうには、ステージを張ってなんぼではないでしょうか。

演奏家にはソリストタイプも居れば、伴奏タイプの人も居ます。どちらも出来る人というのはなかなか居ないものです。ピアニストなどは特に顕著ですね。どちらのタイプも極めて行くのは厳しいものがあります。しかし琵琶は独奏で演奏するスタイルが基本ですので、人の伴奏というのはまずありえない。皆がソリストにならざるを得ないので、向かない人が居ても仕方がありません。この辺りが琵琶の難しいところです。
2時間のステージでゲストを一人二人入れてたとしても、自分の冠でステージをこなせる人は、今琵琶の世界にどれだけいるでしょう??ライブのようなお酒を呑みながら気軽に聞ける場所は別として、ホールや音楽サロンでじっくりと自分独自のスタイルで、独自の魅力を持った音楽を聞かせられる人は、琵琶にはまだまだ少ないと思います。

また旧来の薩摩琵琶には曲そのものが少ない。また各曲のイントロもメロディーも、曲構成も、琵琶のフレーズも皆同じで、歌詞だけが違うという音楽なので、やっている本人は色々なものを演奏しているつもりでも、聴いている方は全て同じ曲に聞こえる。こういうジャンルも珍しいですね。これではとても2時間もちません。延々と同じようなものを聞かされたら、さすがに優しいお客様でも二度目は来てくれないでしょう。
では、どうしたら2時間の舞台を張れるようになるのか。ゲストに演奏させて時間稼ぎするなんてやり方が以前の琵琶の舞台にはよくありました。またメンバー集めてバンド仕立てでポップスを演奏して、最後は十八番の流派の曲で締めるというやり方も結構多いですね。しかしどのジャンルに、「ポップスのヒットソングとお稽古で習った曲」を演奏して、プロですと言ってお金を取っているようなものがあるでしょう??。お稽古事の発表会ならいざ知らず、私はそんな例を他のジャンルでは知りません。古典ものをやるにしても自分なりの解釈と表現をしてこそ、プロとしてお金が取れるのではないでしょうか。習った通りの事をなぞり、お上手さを披露しているのをプロとは誰も思わない。そんなことは当たり前ではないでしょうか。プロは独自の世界を表現してこそプロなのです。
人それぞれ考え方もやり方もあるでしょう。どんなやり方でもいい。とにかく誰かの音楽ではなくて、本人の音楽が聞こえてくれば良いのです。お上手を披露しても始まらない。

時代はどんどんと変わって行きます。今迄はこれで良かったものが、もう数年したら通用しなくなるのは世の常。お師匠様の時代のやり方では、もうやっていけない、という事も多々あります。我々は次の時代のスタンダードを示していかなければ舞台も時代も張れない。前時代と同じ発想、同じやり方、同じレールの上に乗っている優等生ではプロの演奏家には成れないのです。伝統は何も形を継ぐことではない。志を継いで行かなければ時代に取り残され、陳腐なものになって行ってしまう。
永田錦心も鶴田錦史も、その当時のやり方に反旗を翻し次世代のスタンダードを作ったから、聴衆に、そして時代に支持されたのです。日本の精神・伝統文化の上に立ちながらも、「こいつは今迄とは明らかに違う」と思わせる位でちょうどいい。そしてそれを世間に認めさせれば、次の時代がやってくる。永田・鶴田がやったように・・・。
私は自分に出来る事しか実現できないですが、是非琵琶の世界に、次の時代を感じさせるような演奏家が出て来て欲しいですね。