シルクロードコンサートツアーⅣ~バクー

タシュケントから次の公演地アゼルバイジャンの首都バクーへ向う。飛行機の連絡が悪く、一度モスクワに行ってからバクーへ行かなくては行けないのが面倒。しかしこういう所も面白がっていないと旅は楽しくないのです。

モスクワ空港では待ち時間に、奄美FMの番組に国際電話で生出演しました。奄美FMが島唄の前山君を追いかけて番組をやっているところに「奄美の天敵薩摩琵琶の塩高さんです」なんて紹介されてちょっとばかり照れながらお話をさせていただきました。
御承知の通り、奄美島唄は薩摩藩の支配と搾取の300年の時期に出来上がった民謡なので、奄美にとって薩摩は正に天敵。今年は特に薩摩進攻400年という年なので、これを機会に「進攻」から「親交」へと新しい時代を築こうということでこの企画ができたので、そんなお話をちょろり。奄美の人たちはどんな印象を持ったのだろう???

さてバクーへ到着。しかし空港では無意味とも思える検査を何度もされて、散々止められてメンバー皆参ってしまいました。単に仕事を作っているとしか思えない!。
国際空港なのに英語はほとんど通じず、話ができない。更に他の国と同じロシア語圏なのに、ここは「けたたましい」感じで皆がしゃべりまくっています。人もほとんどがアラブ系のようで、このけたたましさは最後まで悩まされました。

田窪

お世話してくれた通訳&ガイドは田窪さん。明るい性格の方で入国から出国まで細やかに対応してくれました。感謝です。

バクー国立音楽院バクーでは先ずバクー国立音楽院にてセミナーをやりました。現地音楽家とも共演をするということでしたが、残念ながら音楽的にはほとんど接点がありませんでした。
どうしても自分達に合わせろ!という感が強かったです。詩吟をやった時にちょっとトニックとドミナントの音を入れてくれたのが、まあ成果といえば成果でしょうか。ウズベキの歌手の方も主張は強かったものの、色々とお互いの接点を探ってくれたのですが、こちらではそうは行かなかった。個人の人柄と言うよりこの国の気質の問題と感じました。

それとアゼルバイジャンは携帯電話のマナーが全く無く、練習中でもしゃべっているし、コンサート中も携帯でしゃべっている。もちろんコンサート中のカメラやフラッシュなんて当然。携帯だけでなく、この国にはマナーや相手を気遣う細やかさはほとんど無いようです。常に自己主張を繰り返すのが日常のようで、またそうでなければ生きてゆけない土地柄なのでしょう。日本とは相容れないものを感じずにはいられませんでした。

セミナーこれがセミナーの模様。
最後のセッションは結局パーカッションでリズムを刻んで遊んで終わり。民族の音に接点が無いのはしょうがないとしても、例えば英語のような別の共通言語を使ってセッションするのもだめなようです。スケールや和音など西洋音楽の知識は多分持っていると思いますが、民族楽器でそういう洋楽をやる発想が無いのでしょうね。残念。

現地音楽家このとき共演のお二人。演奏は上手でしたが、空港でのおじさんたちと同じで、かなり性格的にきつく、自己主張を繰り返す。アラブ系の特徴なのでしょうか??
武満徹さんが以前「音楽には国境があるんですね」と言っていたのを思い出しました。

古川・ペリ・ハティラ
こちらは田窪さんとともに今回お世話になった方々。ギュネル
左が大使館の古川さん。そして真ん中が、笑顔の可愛い通訳 ぺリさん、右はサポートのハティラさん。もう一枚の方は、演奏会当日通訳のサポートに来てくれたギュネルさん。
ぺりさんは他のアゼルバイジャン人と違い、ゆったりのんびりとして優しくて、癒し系の感じなので助かりました。セミナーはペリさんが通訳をしてくれて、琵琶の歴史などレクチャーして来ました。ありがとう!!

アゼルバイジャンはここ2,3年のオイルマネーの高騰で潤ったせいか、街は六本木のような雰囲気でものが溢れ、道路は無法地帯のように車が行きかっていました。クラクションは途切れることなく「けたたましく」鳴り響き、あのしゃべり口そのままのようで、外に出ると皆いらいらとしていました。

アゼルバイジャン人はやさしくて面倒見が良いということでしたが、それは地方の話のようです。都会は欲望と身勝手と自己主張の嵐。まあ東京もそうですが、更に激しい感じで、もうへとへとでした。

さて公演ですが、同行メンバーが一人ダウンしていたので、各人のソロで補うように演奏しました。お客様は相変わらず各国大使など色々来ていて、「素晴らしい」の連発でしたが、あまり言われるのもちょっと恐縮してしまいます。本番1

余談ですが、会場の隣がイラク大使館だったので、警備もそれなりでした。ウズベキスタンが盛り上がり過ぎたせいか、こちらではちょっと全体におとなしい演奏になってしまったのが悔やまれます。

そして今回のおまけはやはり大使公邸での晩餐会。
しかしあまりの美味しさともてなしの見事さに酔って、写真を撮り忘れてしまいました。
アゼルバイジャンで極上の中トロの刺身が食べられるなんて驚きです。ホテルに帰ってからも「あの中トロは旨かったね」なんて思わず口に出てしまうくらい、メンバー皆さん大満足!また大使の奥様がタイの方とうことで、椀物はタイ風味になっていたのですが、これがまあなんとも上品で美味。ウズベキの晩餐会を超えましたね。

大使は若い頃バックパッカーをして中東やインドを回っていたとのころで、お話も楽しく、大きな器で我々を迎えてくれました。こういう大使がいるというのはいいですね。こういう方こそ、日本の代表としてふさわしい。日本人として嬉しくなります。お世話になりました。

さて出国となりましたが、この時も散々にもめてもめて、もう最後までこの街には振り回されっぱなし。ガイドの田窪さんがいなかったら出国できなかったかも・・・、と思うくらいでした。

こちらはバクーからトビリシへ向う機内からの風景
IMGP0391右手にはコーカサスの山々が見えていましたが、あまりの雄大さに唖然としてしまいました。なんだか「地球」という言葉が出てきました。凄かった。

ストレスも一気に吹き飛びました。

というわけで、次は最後の公演地グルジアのトビリシです。美しい町並み、美味しい料理、コーカサスの京都のような素敵な街!!

乞う御期待。

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